新しい学問体系とジェロントロジー

科学としてのジェロントロジーの定義とその教育

 これまで、社会的状況の急激な変化の中、「Science for Society」や「設計科学」(目的と価値の実現のための科学)さらに、「価値命題」の設定と検証・修正といった、新しい学術体系に基づく「設計科学」の意義と設計科学としてのジェロントロジー(図参照)について述べてきした。 ここでは、設計科学としての広義的意味でのジェロントロジーの定義とその教育に関して、述べていきたいと思います。

1) 教育的側面からの科学としてのジェロントロジー

テキサス大学 HRC The Positively Aging® curriculumにて

テキサス大学
HRC The Positively Aging® curriculum にて

 20世紀後半は、「モノの世界」の時代であり、生産中心の高度経済成長、物質主義の時代であったといえます。この時代においては、自然支配を目指す、道具的合理性、科学技術による自然支配が価値を持ち、人間を疎外し物象化したといえます。
 このシナリオは、デカルトが心と物質を分離して以来展開してきたものであり、今日の科学は、一貫して私たちの意識の中の数値化する事の出来ない体験を消去するという方法により発展してきたと言えます。
 しかし、我々人間はモノではなく、心を持った存在であるといえます。人をモノとしてではなく、意味・内的世界をもった存在として捉えることが、今日問われています。それは、クオリア(Qualia、意識体験の内容で感覚質といわれるもの)を初めとする、我々の心をめぐる困難な問いに対する挑戦であると同時に、我々の意味・内的世界の追求を意味するといえます。それは、沖縄のジェロントロジー国際総合会議でのDr.Edward Anselloが述べた「ジェロントロジーはそれを通じて人の加齢だけでなく人の人生そのものをも理解できる扉である」という内容にも通じるものであり、最近のジェロトランセンデンス(Gerotranscendence:Tornstam 1997の高齢期における生活満足度の問題を高齢期以前の物質主義的で合理的な視点から宇宙的超越的視点へのメタ・パースペクティブな変化)の理論にも関わるものであるといえます。
 意味・内的世界の追求すなわち新しい合理性の追求は、自己との関係、他者との関係において形成されます。それらは、自己との内省的関係と他者との「コミュケーションの合理性」、変容可能で柔軟な「柔らかい合理性」、「ローカルな合理性」と関わるものであるといえます。
 さらに、これら新しい合理性に基づいて形成される新たな社会は、自然と人間との共生、人間同士の共同・協働、人間の社会的自我の確立を目指す社会でもあるといえます。
 このような時代において求められるジェロントロジー教育とは、個人の尊厳と人間性の尊重、自己との内省的関係、地域性文化性の尊重に基づく人と人との「コミュケーションの合理性」、変容可能で柔軟な「やわらかな合理性」、そして、ローカルなものを求める合理性を追求する教育であるといえます。
 したがって、ジェロントロジーの教育においては、ジェロントロジーに関わる知識や技術のみならず、自己との内省的関係、個人の尊厳と人間性の尊重に基づく「コミュケーションの合理性」や「やわらかな合理性」を醸成する教育が重要になるといえます。
 そのためには、SOUL MANAGEMENT(S: See, O: Observe, U: Understand, L: Listening/Learning)の考え方が必要であり、その能力開発には「魂の食べ物」ともいうべき情操を育てる絵画や音楽等の文芸の理解やその表現力に関する心意力(自分の思いを体全体で表現する力)の教育も今日の教育においては重要であると考えます。

2) ジェロントロジーの定義とその教育

 広義の意味でのジェロントロジーとは、「人の一生における発達と加齢とを対象とし、その生涯発達におけるサクセスフル・エイジングを目的とした設計科学である」と定義できるといえます。
 かつて、Havighurst(1961)は彼の論文「Successful Aging」(The Gerontologist,Vol.1,7-8)の中で「ジェロントロジーは実践的目標を持っており、それは、老年に生気を吹き込む(adding life to the years)ことであり、人々が人生を楽しみ、人生から満足を得られるようにすることである」と述べています。それは、ジェロントロジーの目的の一つが、退職政策や社会保障政策、住宅問題、家族関係や自由時間に何をするかなどに意見を提供することであり、それらによって、「老年に生気を吹き込む」ことができると思ったからであり、そのためには、ジェロントロジーがサクセスフル・エイジングの理論を持つことが大切であるということからです。
 当時は、これらの課題がもっぱら個人の要請とその課題でしたが、人生100年時代(Lynda Gratton, Andrew Scott, 2016)での少子高齢化と経済のグローバル化の中、高齢人口の増加による社会経済的負担が増し、今日の社会的要請としては、高齢者が社会の負担とならずに、命尽きるまで自立して生活し、社会的有用な存在であり続けてほしいといった社会の側からの考え方が強く打ち出されているからです。
 かつてと異なるのは、社会的要請としてのサクセスフル・エイジングにいかに応えていくかということであるといえます。
では、このサクセスフル・エイジングとはどの様なものでしょうか。
 ジェロントロジーにおけるサクセスフル・エイジングは、最も古くから研究されてきたテーマですが、今なおその測定方法や概念を巡って議論が絶えないテーマでもあります。
 サクセスフル・エイジングをめぐる理論は、1950年代から1970年代にかけてアメリカで提起され検討され修正されてきましたが、それらは活動理論や離脱理論、分化的離脱理論、継続理論としてとらえられます。これらの理論は、いずれも退職後の社会的適応や生活満足度の問題や、定年前の職業を中心とした生活との対比といったかたちで組み立てられています。その理論の根底にあるのは、産業社会において成人という地位に期待される役割に関するものです。それは、なにより職業上の業績を達成する事であり、その中で自分そして家族の生活を支え、家族や職場で次世代を育成し、社会に貢献することでした。成人はそうした役割を遂行する事で社会の中で自分の居場所と自分が何者なのかを確認してきたのです。
 しかし、退職は職業を中心として構成されている社会的役割から個人を引き剥がし、個人の自己同一性を喪失させ、社会関係の様々な網の目から個人を押し出すことになります。そうした中でいかに社会との関わりを維持し、自己同一性を確保し、満足度や幸福感を得て老後生活を過ごしていくかが、特にサクセスフル・エイジングの課題とされてきました。これらの理論を基に行われてきたサクセスフル・エイジングに関する研究を、特に1960年代からの今日までの行われてきた研究を中心にレビューすると、以下の5点に要約する事ができます。

1,サクセスフル・エイジングの概念は複合的、多次元的概念
2,高齢期を喪失・衰退期と捉えるだけでなく、発達・成長にも目を向ける
3,人間の身体的諸機能は、高齢期において遺伝的性質よりもライフスタイルに大きく影響される
4,社会環境条件が、サクセスフル・エイジングの過程に多大な影響をもたらす
5,個人の目標や生き方により、多様なサクセスフル・エイジングがある

 すなわち、サクセスフル・エイジングは、生物学的過程であると同時に、心理学的過程であり、社会的過程の中でとらえることができます。したがって、ジェロントロジーに関する教育は、生物学的過程に関する内容と同時に、心理学的過程と社会的過程に関する内容を扱う必要があるということになります。以下に示した図が、ジェロントロジー教育プログラムです。AtchleyとBaruschの提唱するジェロントロジーの四つの視点をふまえ構想した内容です。

 寿命が伸び続ける今日、人生“100年時代の人生戦略”(Lynda Gratton, Andrew Scott, 2016)が必要となります。我々は衰えて生きていく年数が長くなるわけではなく長くなった人生を健康に生きることができる様になります。しかしそれには個人差も伴うといえます。長寿化に備えるために人生の後半の時期の準備をするだけではなく、新たに出現すると考えられるいくつものステージに備え、quality of lifeを追求するため人生全体の設計をし直さなくてはならなくなるでしょう。長寿化の中、スキルの価値が瞬く間に変わる時代、様々のことを新たに学び直すことが必要となります。
 さらに、人生100年時代においては、人生のquality of lifeを考え社会関係資源の創出を想定した生涯学習におけるジェロントロジー教育が重要になるといえます。

図2 ジェロントロジーの四つの視点

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