理念と伝統

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愛国婦人会と社会活動

肖像(明治35年頃)肖像(明治35年頃)

下田歌子は、1901(明治34)年に奥村五百子が主唱して設立した愛国婦人会にも、発起人のひとりとして名を連ね、創立趣意書の起草などを行いました。愛国婦人会は、日清戦争に出征した兵士の遺族および廃兵の救済を目的とし、全国の婦人の団結協力を呼びかける団体でした。その後、愛国婦人会は会員も拠出金も全国的な組織となり、日露戦争・第一次世界大戦といった戦時の遺族救済だけでなく、関東大震災後の救済・復興支援や、救護館の設立、女性の就職支援など幅広い活動を行うようになりました。歌子はこうした社会活動、慈善活動にも積極的に関わっていきます。

歌子は1920(大正9)年に会長に就任し、辞任するまでの7年間にわたり精力的な活動を行っています。
例えば、愛国婦人会の事業として婦人職業紹介所・保育所・授産所・隣保館その他を開設して婦人の生活改善と職業ヘの道を開き、また1924(大正13)年には先述の愛国夜間女学校を設立して、貧しい勤労少女のために進学の道を開きました。
また、信越地方の製糸工女の実態等を何度も視察し、講演で工女らを励まし、また待遇改善のために事業主に助言するなど、日本全国はもとより、樺太、朝鮮、満洲にいたる各地で視察・講演活動を行ないました。こうした活動は多くの一般大衆婦人に参道と共感を持って受け入れられ、会場はいつも満員だったと言われています。

 こうした愛国婦人会の活動以外にも、勉学の機会に恵まれない女子を対象に大日本実修女学会を設立し、「実修女学講義録」を刊行するなど、現在の通信教育に似た事業も行いました。