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実践Webマガジン

桜むすび

<120周年記念特集>創立者・下田歌子先生の足跡を見つめる

北海道から九州へ、津々浦々!
各地を巡り、多くの人に親しまれる。

2019(平成31)年、実践女子学園は創立120周年を迎えます。
そこで『桜むすび』では、「創立120周年記念特集」と題し、
今号から3回に渡って、創立者・下田歌子先生の活動を改めて見つめます。
第1回目のテーマは、下田先生の全国遊説。一般女子教育の
普及を目指して各地で講演を行った、先生の足跡をたどります。

下田先生が訪ねた地

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▲1921(大正10)年9月、愛国婦人会函館・樺太支部総会に向かう途中、盛岡市の後援会で下田先生が講演。多くの女性が会場に詰めかけている様子がわかります。

 「帝国婦人協会」設立の前後から大正時代末期まで。下田先生は精力的に各地を回り、一般の女性が教育を受けることの大切さと、それが今後の日本にどのような影響をもたらすかを説きました。
 下田先生の活動は当時の一般大衆婦人たちに賛同と共感を巻き起こし、講演会場はいつも満員だったと伝えられています。

人々とのふれあい

人々が下田先生を待ち望んでいたことや、先生の優しく温かいお人柄など。当時の先生のご様子を、教え子の手記や写真、新聞記事などで伺うことができます。

1915(大正4)年夏、熊本にて、教え子夫妻と

 ——丁度大正四年の夏休でした。私共がまだ熊本に居りました時、下田先生は鹿児島へ講演旅行をなさいました際、お帰りに私共の新居へ御寄り下さると云うことになりました。(中略)私宅で先生は、手製の御風呂に召され、縁側の藤の長椅子に横になられ、庭から続く阿蘇山を眺め、旅のお疲れを休養されました。(中略)私共は人力車で先生を会場へ御案内いたしました。会場は定刻前から立錐の余地もない程の超満員で、場外にもあふれて居りました。(中略)御帰京後「お手造りの紙の湯の屋に浴して云々」と大変楽しそうな御手紙を頂き、先生の御人格と御愛情に泣かされました。—(成田秀三氏)

1918(大正7)年3月、名古屋にて、教え子と

 私は明治四十一年実践高女を出ましてから間もなく結婚し、(中略)名古屋に転任しましたのが大正六年でした。其の翌年の七年の三月頃と思います。朝の新聞に、今朝東京実践女学校長下田歌子女史・東京女子商業学校長嘉悦孝子女史を県庁にお招きし、近年の経済界についての講演ある由見ました。(中略)先生御したわしさに急ぎ支度して名古屋駅に馳せ、時刻をお待ちしておりました。(中略)県庁にお供し、親しく先生の御講演を聞かせて頂きました。(中略)其の夜の夜行で御帰京遊ばし、お見送り申上げました。其の間先生は、「あなたはただのお体ではない。(中略)」「大事になさいよ」とおやさしい言葉をおかけ下さいました。私は妊娠七ヶ月頃でした。こんなに親しく一日先生のお供をさせて頂き、有益なる講演を承りました事は一生忘れる事ができません。—(小田(益山)秀氏、明治四十一年高女卒)
*右手記2点、教え子たちの思い出をまとめた『竹のゆかり』(1963(昭和38)年 発行)より抜粋

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▲1921(大正10)年9月、愛国婦人会函館・樺太支部総会への道の途中、小樽の金子伯爵邸にて。最前列中央が下田先生。

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▲1900(明治33)年4月、帝国婦人協会新潟支会が設立された時の1枚。日本赤十字新潟支部看護婦養成所前で撮影。最前列中央の下田先生は当時48歳。

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1914(大正3)年9月7日の福島民報の記事(抜粋)。下田先生が福島で講演会を行ったことが取り上げられています。会場には婦人会員や師範女子部生徒、福島高女生徒など600名以上が集まり、入りきらずに場外で聴く人が出るほどの盛況だったとのこと。

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1922(大正11)年4月19日の読売新聞の記事。佐賀市と唐津での先生の講演の様子が紹介されています。「婦人の社会事業と女子教育」について話した佐賀市公会堂での講演会には、2千人もの聴衆が集まったそう。

【下田先生用語集1】帝国婦人会

画像イメージ▲下田先生の名が記載されている、帝国婦人協会創立届。

 下田先生が設立した婦人団体組織。それまでの団体とは異なり、大衆女性のための組織である点が特徴的でした。主な事業は学校経営や教育研究会、文学研究会等と定められ、本学園の前身である実践女学校や女子工芸学校は、帝国婦人協会の事業の一環として開設されました。

【下田先生用語集2】愛国婦人会

 奥村五百子(いおこ)が主唱して設立した婦人団体。日清戦争に出征した兵士の遺族および廃兵の救済を目的とし、全国の婦人の団結協力を呼びかけました。その後、愛国婦人会は会員も拠出金も全国的な組織となり、関東大震災後の救済・復興支援や、救護館の設立、女性の就職支援など幅広い活動を行うようになりました。