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実践Webマガジン

桜むすび

〈特集〉 未来に「つながる」旅 第一章

第一章 懐かしい「あの頃」を振り返る

特別な場所「日野」 坂の上で流れる時間

日野の丘陵地に佇む実践女子大学がこの地に根づいて今年で48年、短期大学においては36年の歳月が経過しました。多くの学生がここで学び、自身の可能性を広げて社会へと巣立っていきました。

そして現在、「日野の高等教育機関」として定着した大学・短期大学は、地域との連携を強めています。今回は皆さまとともに、過去から現在、そして未来へと日野の地で流れる時間を見つめたいと思います。

女子教育へのニーズの高まりを受け、より広い校地を求めて日野へ

短期大学の建設敷地1975(昭和50)年 短期大学の建設敷地
正門前の桜並木もまだ更地でした

現在、中学校、高等学校、短期大学、大学、大学院を擁する実践女子学園が日野に校地を設けたのは1962(昭和37)年のこと。 当時日本は高度成長期にあり進学率が上昇、女子教育へのニーズも高まっていました。1903(明治36)年から渋谷校地で教育を展開していた本学は、校舎や設備の増改築を行ってニーズの高まりに対応したものの限界となり、他に校地を用意する必要が生じました。 そこで、「女子の教育機関を設置したい」という要望のあった東京都日野市に新たな校地を求めたのです。



まず、現在大学が設置されている日野市大坂上に校地を取得し、総合グラウンドやテニス、バレーボール、バスケットボールなどのコートを整備。秋には早くもここで中高合同運動会が開催され、トラックに荷物を積み込んで渋谷からやってきた生徒たちが、広い校地で存分に体を動かしました。

そして1965(昭和40)年、地下1階・地上3階建ての大学新校舎(現第2、3館)が竣工。一般教養課程の新入生342名が、真新しい校舎で学生生活をスタートさせました。敷地内には日野寮も新設。中高の生徒が渋谷から大型バスで訪れ水泳にいそしんだ屋外プールも、この年完成したものです。

その3年後には2棟の新校舎(旧第4館、現第5館)を増築。新入生も迎え、日野校地の在籍者数は千名を超えました。

短期大学も日野に集約。活気と希望に満ちた神明キャンパス

輝陽祭の様子輝陽祭の様子

一方、渋谷校地で教育を行っていた短期大学も、進学希望者の増加への対応に限界を迎えつつありました。そこで1972(昭和47)年に埼玉県北葛飾郡松伏町に分校を設け、その4年後には、渋谷と埼玉に分かれていた短期大学を集約する形で日野市神明に順次移転、新たに整備されたキャンパスで開講することとなりました。

神明キャンパスは1975(昭和50)年10月に建設に着手したものの、遺跡が見つかるハプニングがあって、校舎が完成したのは新学期直前の翌年3月。運動場の整備までは間に合わず、キャンパスの片隅には掘り出された土が山盛りになっていたそうです。新校舎への引っ越しも大がかりなもので、当時の教職員が机や椅子などの備品や事務用品、事務関係の書類などの搬入に奮闘。なんとか新入生の入学に間に合わせました。「全てが白で統一されていて、いかにも清潔感に満ち溢れ、新鮮なにおいがする校舎」と学生が寄せた感想が、当時の『短大新聞』に掲載されています。完成したばかりの校舎で、学生たちは先輩たちから引き継いだ机や椅子で学びをスタートさせました。当時の日野は田園地帯の趣が色濃く残り、通学路の両側には畑が広がって、道路の舗装も不十分なため雨の日には靴が泥まみれになることも。しばらくの間、校舎に入る時は上履きに履き替える必要がありました。図書館をはじめとして必要な設備や機器もまだ揃ってはいませんでしたが、その分キャンパスには、「これから着実に発展していく」という活気が満ちていました。

設備の充実、学生の増加。日野でさらなる充実期を迎えた大学・短期大学

日野の地に根づいた大学・短期大学は、18歳人口の増加や女子の進学率向上といった社会環境を背景に、さらなる発展期を迎えます。

大学では1985(昭和60)年に現在「本館」と呼ばれる新校舎が完成。それまで渋谷校地で行われていた大学の専門教育課程も日野校地に集約され、学生は4年間を日野で過ごすことになりました。翌年には文学部・家政学部の定員を大幅に増加し、にぎやかなキャンパスでは、学園祭や体育祭などのイベントも熱気あふれるものとなりました。

短期大学の学生数も順調に推移し、一時期は2学年合わせて2千人近くの学生が在籍したことも。ランチタイムには二つあった食堂に入れなかった学生たちが、体育館の階段に腰をかけ昼食を取るほどのにぎわいでした。学生数の増加とともに、それまで大学と合同で催されていた行事について「短期大学独自のものを!」という機運が高まり、短期大学独自の体育祭、短大祭(後に「輝陽祭」に改称)が開催されました。

始まる地域との連携。結びつきは次第に強まり大学・短期大学は新たな局面へ

竣工式1976(昭和51)年
短期大学第3館の竣工式

実践女子大学2010(平成22)年に廃止された
オレンジ電車と実践女子大学

一方、大学の日野への完全移転を機に、1986(昭和61)年度に「実践女子大学公開市民講座」が開設されました。現役の教員や退職職員などを講師として多彩な内容の講義を行い、「開かれた大学」として、地域とのコミュニケーションの強化を図りました。1990(平成2)年度には短期大学校舎でも実用講座が開かれることとなり、名称を「実践女子大学・実践女子短期大学公開市民講座」と改称、日野市の後援も得ました。

その後、教育・研究などさまざまな面で地域とつながるシーンは徐々に増加。大学・短期大学は名実ともに「日野の高等教育機関」として浸透する、新たな局面を迎えていったのです。

日野キャンパスで新設された学部・学科

  • 1985(昭和60)年【大】文学部 美学美術史学科
  • 1992(平成 4 )年【院】文学研究科 美術史学専攻
  • 1995(平成 7 )年【大】生活科学部 生活文化学科
  • 2000(平成12)年【短】生活福祉学科、食物栄養学科
  • 2004(平成16)年【大】人間社会学部 人間社会学科
  • 2010(平成22)年 【院】人間社会研究科 人間社会専攻
  • 2011(平成23)年 【大】人間社会学部 現代社会学科
  • 2013(平成25)年 【大】生活科学部 食生活科学科 健康栄養専攻

取材協力 日野 一男 教授

画像イメージ

〈実践女子短期大学 英語コミュニケーション学科〉
1972(昭和47)年に教員生活を始められてから現在まで、41年にわたって短期大学で本学を見つめてこられた日野先生。短期大学が日野・神明キャンパスに移ってからは、名物教授として「日野の日野先生」と呼ばれたとか。
「再来年、定年退職を迎えます。多くの学生と密度の濃いつき合いをさせていただいたことは生涯の宝物。家族ぐるみでの交流が今も続いている卒業生もいるんですよ」と、話してくださった際の、穏やかな表情が印象的でした。

参考資料:『實踐女子学園一〇〇年史』(平成13年3月31日発行、学校法人 実践女子学園)