挨拶をしない子供

挨拶しない子供  

学生の回答から考える

うちの子供は、毎朝同じ学年の子たち3人で集まって学校に行く。どうも最後に家に寄ってくれるようで、「ピンポーン」と呼び鈴が鳴ると、玄関の外に2人が待っているという構図だ。
 しかし、呼び鈴が鳴っても「はーい。」とか答えようとしないし、しぶしぶの「いってきまーす。」の後に、おはようという挨拶が聞こえる風でもない。妻はそういうことが私以上に気になる質であるから、「ちゃんと返事をしなさい。」、「おはようは!?」と叫ぶことになる。
 
 どうも、最近の子供は挨拶をしない。そんな感覚を持っている人は多いのではないだろうか。挨拶ぐらいできなくてどうする、という言い方は過去のものになったのだろうか。私は子供達が挨拶をしなくなった原因がよくわからなかったので、環境心理学を受講している学生に理由を推測してもらうアンケートを取ってみた。
 本編は、学生からの回答を元にして、挨拶が減ってきた原因を探っていこうという企画である。
 
 学生からの回答でそれなりに多かったのが、はずかしいから挨拶できなかったというものである。高が挨拶。相手に迷惑かけるでもなし、なぜできぬ。されど挨拶。人とコミュニケーションを取るのはエネルギーがいるものなのである。
 私も内気なところがあったからなんとなくわかるのだが、人と関わり合いになるということは、乗り気でなくても話をしたり、何かを断ったり、自分がしたくないということをやらなくてはいけない場面が出てくることをも意味する。挨拶は関わり合いの最初だから、挨拶さえしなければ、その面倒を体験せずに済む。そんなことを無意識のうちにも感じているかもしれない。だから挨拶にはエネルギーがいるのだ。「元気に挨拶しましょう。」これは、そのエネルギーを振り絞る訓練を施しているのだと考えることもできる。
 実際、挨拶運動を展開している小学校にいたので、挨拶は苦にならないという回答もいくつかあった。習慣化していれば、やるということだろう。
 
 小学生の塾の講師をしているという学生が、その塾では挨拶を強要しているが、なぜ挨拶するべきなのか、その意味を教えている。それが重要だ。そう書いてきた。その他にも、挨拶に意味がないと捉えているから挨拶をしないのではないかという根本的な問題点を指摘する声も多かった。
 挨拶の意味は何処にあるのだろう。
 私は、ラッシュ時の電車を思い出す。駅に停車中、下りる人と残る人と、車両の中はごった返す。その時に、「すいません。」とか「ちょっと通してください。」と言う人はまれである。一言添えるだけで、乗り降りはスムーズになるのだが、それを実行する人は少ない。ごりごりと人にぶち当たりながら降りていく。
 私には現代人はサインを出す能力が減退しているように映る。人に自分が何をしようとしているのか知らせ、実行しやすくするというコミュニケーション能力が衰退しているように見えるのである。
 挨拶も、そういった機能を果たしているだろうと思うのだが、いかがだろうか。
 
 このように、コミュニケーションがうまくできないようになったのは、都市の環境が関わっているのではないかという指摘も多かった。つまり、都市では、隣近所のおじちゃん、おばちゃん達と顔見知りではないことが多く、大人達でさえ、近所同士でも挨拶を交わさないことが多い。それを見て育った子供達が、挨拶をすべきだと考えるようになるとは思えないという論調である。
 私の研究室の副手は、静岡県に実家があるが、実家に返った折り、彼女と同年代の、つまり20歳代の人たちが、ほとんど挨拶をしないのに気がついて驚きと悲しみを覚えたという話をしていたことがある。これまで子供が挨拶をしないという話をしてきたのだが、実は大人も挨拶をしないのではないかというのだ。学生の中にも、周りの大人(時には先生でさえ)、挨拶しても挨拶を返してこない世の中だからだと書いてきた者がいた。
 それなら話がわかる。子は親の鏡。親のまねをして育ってきたに過ぎないということになるからだ。これは、これまでの推測の中では、もっとも核心的な解釈であるような気がする。親類縁者が集まっており、集落の皆が顔見知りという環境であれば、挨拶することは普通であろう。翻って、見知らぬ人ばかりの土地で、挨拶しても反応が返ってこないのであれば、そんなことはしなくなるであろう。そういうことが続けば、大人も子供も挨拶をしなくなる。
 ましてや、最近は物騒な世の中である。「知らない人には、声を掛けられても返事をしちゃダメよ。」という教えを受けた子供達が、挨拶をすべきかしないべきか悩んだ末に、しない方をメインにしてしまうことは充分考えられる。
 
 家族の中でも挨拶しなくなってきたのでは、という指摘もあった。家族であれば、日々の生活の中で、だいたい次はどうすればいいのか、何をして欲しいと思っているのかわかってしまうところがある。それをそのままにしておくと、子供は黙っていても親が察してくれることを学習し、コミュニケーションを取ろうとしなくなる。うちでも、親が「おはよう」と言っても、子供は黙ったままであることがある。いちいち怒るのも何だなあとやり過ごしていけば、それは許される行為なのだと思って、面倒くさい、やらない、となるのかもしれない。幼稚園でも、先生が挨拶しているのに子供が黙ったままで、私が頭を小突いて挨拶させることがある。そういうことをしなくても、先生は怒らないけれど、それも挨拶しないという態度形成に一役買っているかもしれない。
 学生の記述に、面白い一文があった。子供は挨拶はするものではなく、されるものだと思っているのではないかというのである。「いらっしゃいませ。」「ありがとうございました。」日頃、挨拶されるのはお金を払う側である。強者は無視したり、「うむ。」くらいで許される土壌がある。それを子供も感じているのではないかというのである。資本主義の浸透度世界No.1かとも思える日本の現状を鋭く突いたコメントのような気がする。
 しかし、それは何か。親が挨拶しているのに子供が無視するというのは、子供の方が大人より偉くなったということか。許すまじ。
 
 いやいや。これまで書いてきたことをまとめてみると、子供が子供のままで育っていく土壌が形成されているという気がしてくる。子供の頃は挨拶できなかったけれど、小学校高学年くらいから、社会的なコミュニケーションの重要性に気づき、それからは挨拶するようになったと書いてきた学生がいたが、こういう気づきなしで生きていける土壌である。私は「許しの文化」と呼んでいるのだが、何かやらかしても(何もしないことも)許してもらう。許せないのは相手が悪い。まあ、そんなところか。この話題については、いろいろと想うところがあるので、稿を改めて話すことにしよう。
 
 ある学生が、これ以上ないというほど簡潔に理由をまとめてくれた。
 「恥ずかしいから。」
 「相手にあまり興味がないから。」
 「警戒しているから。」
 「面倒くさいから。」
 周りは知り合いが少なく、コミュニケーションを取る必要がない。テレビやテレビゲームのような一方通行のコミュニケーション、家族といういたわりの環境で自発的コミュニケーションが必要とされない状況。そういった状況で、特に挨拶に意味を認めない態度が形成され、友達関係においても、挨拶なしになっていく。そういった構図だろうか。
 
 急に隣近所が知り合いだらけになるのも難しい。何か手立てはないか。それについては、面白い提案をしてきた学生がいるので、それを紹介して終わりとしよう。
 挨拶の習慣は小さいうちに身につけた方がいい。しかし、現実に挨拶する機会は少ないとしたら、シミュレーションしたらいいのではないか。そのために、ぬいぐるみを使って、ぬいぐるみに挨拶する習慣をつけさせてはどうかというのである。
 ぬいぐるみ評論家の私としては、なかなか面白い提案だと思うのであった。
 
 
fin.
2004.07.15
























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