生活環境講座

第15回 紅花の里と紅花染め 牛腸ヒロミ
紅花の里へ

 3月の下旬、暖かな春の日に山形新幹線に乗り東京を出発しました。米沢あたりで雪が激しく降り、東北に来たのだという実感を強くしました。明るくがら〜んとしたさくらんぼ東根駅に到着して紅花資料館のある河北町に向かいました。寄贈された堀米四郎兵衛の屋敷を整備修復して作った紅花資料館の門を一歩中に入ると、そこは時がゆっくりと流れているようでした。

紅花のルーツ

 エジプト、中央アジアが原産地といわれる紅花は、シルクロードを通って、中国、朝鮮を経由して、六世紀頃までには日本に伝来したと考えられています。

山形での紅花

 紅花は奈良・平安時代には貴族の装束を彩り、宮廷の女官たちの化粧に用いられました。
 山形で紅花の栽培が盛んに行われていたのは16世紀になってからで、天正7年(1579年)に最上義光が病気平癒を祈って、数々の奉納品とともに紅花1貫200匁を奉納したことが文書で伝わっています。17世紀、江戸時代初期には、紅花の生産はますます盛んになりました。

高価な色素 紅餅

 紅花の花弁は水溶性の黄色の色素サフロールイエローと水に不溶の赤い色素カルタミンを含んでいます。
 赤い色素を取りだすためには、紅花を摘んで、よく洗い、足で踏みつけて揉んで、黄色の色素を洗い流します。次に、これをむしろに広げて陰干しにし、時々水をかけて湿り気を与え、発酵させます。2〜3日すると発酵し粘り気が出てきます。これをこねて団子状に丸め、小さくちぎって餅状にし、また、むしろに並べて足で踏み、小判型にします。これを直射日光にあて、十分乾燥させると紅餅ができあがります。
 これを最上川を使って酒田に集め、ここから回船で越前敦賀、陸路京都へと運ばれました。紅1匁、金1匁といわれ、高級な布地の染色や口紅・食紅にと使われました。

紅花の機能

 カルタミンを口紅として塗れば、唇の荒れを防ぎ、血行を良くし、冷え性にも効くといわれていました。紅花の種子からは、コレステロールを除き、高血圧予防に効果があるといわれているリノール酸を含む良質のサフラワー油がとれ、サラダ油、天ぷら油、マーガリンなどの食用油として使われています。

紅花染め

 紅花染は染める布と同量の紅餅を木綿袋に入れて一昼夜水出しして、よく揉んで絞り出し、水溶性の黄色の色素を除去します。次に灰汁(現在では炭酸カリウム)を加えて紅色素を揉みだします。紅色素は水には溶けませんが、塩基には溶けます。これが紅染めをする紅色素液です。これに布を入れ、少しづつ梅酢(現在ではクエン酸)を加え、溶解した紅色素をムラにならないように少しづつ布に固着させます。赤色の染液が黄色に変わってきたら布を取り出し、さらにクエン酸に10分間漬けて色止めをし、水洗い、陰干しをします。塩基の状態で染液に溶けていた紅色素を弱酸を加えることにより中和し、紅色素を遊離させるのです。
 染液のpHにより、色は大きく変化します。濃い紅色にするためには何度も重ね染めをします。黄はだ、栗、藍などで上染めをしたり、くちなしやうこんで下染めをしたり、銅、鉄などの媒染剤を使って、色相の変化を楽しめます。

おわりに

 紅花染めは、取り扱いが簡単で色相が豊富、さらに染色物が堅牢である合成染料におされ、一時は消滅してしまいました。しかし、合成染料にない色相の深みなど、その美しさが見直され、また復活しました。いにしえに思いを馳せながら、複雑な染めの技術を伝承していくのも素敵かもしれません。(H. G.)