生活環境講座

第31回 北欧からの学び 橘弘志
はじめに

 2015年の9月〜10月にかけて、フィンランドとスウェーデンに視察調査に行ってきました。
 今回の目的は、昔から建っている建物を福祉の用途として再活用しているさまざまな事例を見てくることにありました。オフィスビル、消防署、集合住宅、学生寮、ホテルなど、さまざまな建物が高齢者や障害者のための施設として再活用されており、そんな事例の中からいくつかを紹介します。

会計事務所→精神障害者リハビリテーションホーム

 まず、会計事務所を改修して精神障害者のリハビリテーションホームとして活用しているフィンランドの例を紹介します。エントランスとみんなの集まる食堂部分は増築し、もとの建物は改修して、居室やミーティングルームが設えられています。24時間のケアが必要な精神疾患をもった人たちが集まって生活し、リハビリテーションを受け、ゆくゆくは地域で自立して生活することが目指されています。

 ここではさまざまな更正プログラムが実施されていますが、施設のスタッフと精神科医・看護師・社会福祉士、そして本人を含めて治療チームが組まれ、その人の状態や要望に合わせたプログラムが行われています。本人が望むことでなければ、治療の効果はないという考え方が徹底されているようでした。毎日決まったスケジュールというものはとくになく、ふだんは、みんなで一緒に食事を作って食べ、リビングでコミュニケーションを楽しみつつ、一人ひとりが自分の好きなように自由に生活を起こっています。特殊な環境に閉じ込めないという方針は、精神疾患を抱えながらも地域に戻ってコミュニティの中で生活するときのことが想定されているのです。

ホテル→高齢者向け住宅

 次に、ホテルを高齢者住宅として活用しているスウェーデンの事例です。認知症の人やかなり重度の身体疾患のある人が、ケアを受けながら生活する「特別住宅」です。(スウェーデンでは現在、老人ホームという施設の制度はなくなり、すべて住宅として位置づけられています。)築40年ほどの7階建ての建物の3階分を改修して、8〜12人ずつのユニット(集まって生活する単位)が作られています。それぞれのユニットには、一人ずつの居室と、みんなで集まる共同リビングが設けられています。運河に面したリビングにはガラス張りのサンルームが張り出して設けられ、運河を行き来する船がよく見える眺めのいい場所になっています。

 一人ずつの居室は30平方メートルくらいの面積があり、ベッドルームとリビング、キッチン、そしてシャワールームが必ず設けられています。高齢者専用とはいえ、ここはあくまで住宅なので、通常の住宅の基準で作られているのです。重度の認知症や身体疾患の人の部屋であっても、そこには昔から使っていた立派な家具が置かれ、壁には絵が飾られ、窓際には植物や家族の写真などが飾られています。どの部屋も、住んでいる人柄の反映された居心地良さそうな部屋になっていました。

北欧と日本の違いに感じること

 今回、再活用の事例だけでなく、新築の高齢者住宅なども見る機会がありました。福祉先進国として名高い北欧の最新事例ということになりますが、建物や空間の質をみると、日本の福祉施設は決して見劣りのするものではありません。近年ではむしろ日本のほうが、手間と工夫が隅々に行き渡った建物になっているかもしれないと思いました。ただ、生活空間として見たときには、そこに質の差を感じることになります。北欧のほうがインテリアにこだわりがあり、居室であっても共用のリビングであっても、いい家具がセンス良くレイアウトされ、落ち着いて過ごせる居場所となっているように感じました。これに比べて日本の老人ホームは、どこもあまり代わり映えのしない家具の置かれた施設っぽい空間になっていることが多いように思います。

 また今回おもしろかったというか不思議だったことの一つに、どの事例で聞いてみても、建物の基準や制度の基準がはっきりとしていなかったことがあります。日本の場合、高齢者や障害者、居住施設やデイサービスなど、それぞれ施設の種別がはっきりと区分けされ、建物の設備からスタッフの数まで細かな基準を守らなくてはいけません。北欧ではどうやら、住宅として守るべき基準はあっても、用途ごとに応じた細かな基準のようなものは定められていないのかもしれません。それぞれの建物にどんな空間や設備が必要なのか、どれだけのスタッフが必要なのか、そのつど関係者の間で議論され、状況に合わせて決定されているらしいのです。そこを利用する人に対してどれだけのケアが必要なのか、ということから、それを提供できるだけの設備とスタッフを整えているようでした。その結果、どの事例もそれぞれに個性的であり、一つの枠の中に収まらないように思えました。

北欧から学ぶこと

 基本的に北欧では、その人の「生活」をどのように実現させるのか、という視点がすごく大事にされているように感じます。国や役所の決めた制度がまずあって、生活をその制度に合わせるのではなく、まず一人ひとりの個別な「生活」があり、その「生活」を支えるための環境やプログラムを整える必要がある、という考え方なのではないでしょうか。その背景には、「生活」とは、だれもが尊重されなければいけない基本的な人権であり、経済性や効率性よりも優先されなければならない、という哲学のようなものが、多くの人に共有されているように感じました。

 だからといって採算度外視ということではなく、無駄な労力やコストを極力かけないようにする合理的な考え方もまた、そこにはしっかりと根付いています。北欧諸国は税金が高いことでも有名です。それだけ高い税金を払っているので、その税金が私たちの人権を守るためにきちんと使われているか、そして無駄なく合理的に使われているか、ということにみんなが強い関心をもっています。誰もがよりよい「生活」を可能にする、より合理的な解決方法を目指して、日々さまざまな取り組みが新たに試みられていますし、技術の開発も行われています。北欧の福祉制度というのは、確固と築き上げられたものではなく、実は多くの人が関わりながら柔軟に変わり続けるところに最大の特徴があるのかもしれません。

 北欧は決して大きな国ではありませんが、優れたデザインや技術、福祉制度や教育制度など、世界中からの注目度が高いように思います。しかし、そうしたものを優れたものとして、ただやみくもに取り入れればよいわけではありません。私たちが北欧から本当に学ぶべきものは、その表面的なかたちにではなく、その背景にある考え方のほうにこそあるのではないでしょうか。 (H. T.)