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花巻研修旅行

一日目 東京発新花巻着、昼から花巻市内、特に宮沢賢治に関わりの深い場所を見学。羅須地人協会建物(花巻農業高校内)、イギリス海岸、鳥谷ヶ崎神社、羅須地人協会跡地、宮沢家、産湯の井戸、林風舎、身照寺などを経て大沢温泉泊。
二日目 高村光太郎記念館、町立民俗資料館、太田清水寺、水分神社、新渡戸稲造記念館を経て、午後宮沢賢治学会イーハトーブセンター夏期特設セミナー(「風の又三郎」の謎に迫る。長期企画で、本年が第一回)および懇親会に参加、ホテルグランシェール花巻泊。
三日目 宮沢賢治記念館見学、現地解散。午前中の夏期特設セミナー二日目に参加したものもあり。

花巻の町と賢治作品

岩手県がイーハトーブそのものでないように、花巻もハーナムキャそのものでないことは確かですが、それらが宮沢賢治にとっての作品生成の母胎であり、踏み台であることは否定のしようがありません。
私たちが現在の花巻の向こうに、大正時代の花巻を透かし見ようとして、そこを生きて作品を生み出した、生み出しつつあったものの姿を思い描くことが出来たなら、その町を歩くことに大きな意味が見いだせるでしょう。「大正の花巻にタイムトリップ」(歴史と作品舞台資料付き)です。
鳥谷ヶ崎城跡から豊沢町を見下ろして、電灯会社の前の坂を下り、時計屋の前にたたずむジョバンニの発想を得たり、北上川の川岸にたくさんの詩篇の生み出された跡を探ってみることもできます。 

大沢温泉

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花巻の熱心な仏教徒たちが協力して大沢温泉夏期仏教講習会を開催していたところ。賢治の父政次郎もその中心人物。賢治もしばしば参加。豊沢川沿いで写された参加者の記念写真が幾枚も残っています。
現在は山水閣と菊水館の二棟。それぞれにいくつもの温泉風呂があります。最も古い姿を残しているところは、自炊部の先にある大露天風呂。中学生の賢治がここで大変ないたずらをやりました。関心のある方は、藤原健次郎あて書簡を参照してください。

高村光太郎の花巻

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宮沢賢治没後ですが、父政次郎、弟清六の勧めにより、空襲を避けるため東京を離れて花巻にやってきました。不幸にも、花巻も空襲にあい、宮沢家も焼失。光太郎は戦争中の自らの詩作・表現活動への自己批判のゆえに、自己流滴のように、不便な太田の小屋暮らしを続けます。今も残されている小屋は、見るものにさまざまなことを考えさせるでしょう。

宮沢賢治学会イーハトーブセンターのセミナー

夏のセミナーは長期にわたって行われます。今年から数年にわたって、「風の又三郎」の特集。
コーディネーターは詩人で明治学院大学教授の天沢退二郎さんでしたが、この研修の引率者・本学の栗原敦教授はいまこの学会の副代表理事で企画委員長を担当中。今年のパネラーの中には、詩人で本学の非常勤講師である吉田文憲先生も加わっておられました。