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スタッフインタビュー 湯浅 茂雄 教授

国語学 湯浅 茂雄 教授

国語学  湯浅 茂雄 教授

湯浅 茂雄(ゆあさ・しげお)
1952年生、東京都出身。
上智大学大学院文学研究科国文学専攻専攻博士課程満期修了。
国語学 (近代語) 。

少年時代から現在までアウトドア派

今日はよろしくお願いします。まずは、少年時代の思い出などからお聞かせください。

今でもそうですが、山登りをやっていました。

少年時代から山登りを?

ええ、仲間で集まってルートを決めて。まず、行く前に楽しめるでしょ?それから行くのはもちろん楽しいわけで、そこでテントを張ったり、仲間と自炊したり。で、帰ってきてまた反省会。行く前、行って、行った後と。

3回楽しめるんですね。

今はもう北アルプスとかですけど、少年の頃は奥多摩とか近くの山でしたね。だから、少年の頃の思い出といえば山登りかなあ。

その少年の頃というのは中学生ぐらいの頃から、友達を集めて行かれたんですね?

ええ、まあ、自然とより合ってというか、趣味ってそういうものですよね。それが他の趣味にも活きてますね。料理とか。

ええ、湯浅先生の料理の腕は、私が赴任して来た時に聞いて驚きました。アンチョビを自作なさるとか…。

今は釣りですね、手軽だから。でも、山に行きたいとは思っていますよ。特にこの日野は、山際が見えるから…僕は山並を見ている時間は多いんじゃないかな。

完全にアウトドア派ですね。

そうですね、かなりアウトドア派ですね。

男性が少ない文学部にショック!

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高校の前半は理数も結構やってたんですが、高校時代に読書にハマッたというか、高校2年の半ばぐらいからこれはもう文学部に決めよう、と直感的に思ったんです。で、ある程度作品を読むと、自分でも書いてみたくなりますよね?詩とか短歌とか。

ええ、そうなりますね。

で、自分が読んだ本の感想とか友達と語ったりできるのは文学部だろうということで、あまり人数が多いところは想像がつかなかったので、上智大学の文学部にしました。新入生の数は50名ぐらいだったんですが、そのうち45名が女性でした。

今も昔も文学部の男女比はそんなものですね。

それが大ショックで、なんでこんなに男が少ないんだって。

でも、その残り少ない男性どうしは仲が良かったんじゃないですか?…

変わり者が多かったですけどね。

国文学といってもいろいろジャンルがあると思いますが、大学生時代に打ち込んだものとかありますか?

最初は国語学というイメージはなくて、各時代の文学の授業をとっていました。後は、サークルが数々あって、中世とか万葉サークルとか。私は万葉サークルに入っていました。でも、ゼミが深まると、言葉のメカニックな部分、プラモデルを組み立てるようなところに興味が出てきて。ちょっと理系的なところがあったのかもしれません。

それで国語学の方向へ。

学生の頃は文学の方法論がわからなくて、そんな簡単な話ではないんだけど、文法にしても音韻にしても僕にとってはわかりやすさがありました。で、わかれば次に行きたいと思うから。後は先生ですね。森岡健二先生は「こういう風に疑問を持ったことは研究になりうるんだ」ということを思わせてくれましたね。私は4年生のときに内定をもらっていたんですが、卒論は鈴木朗の国語学研究を打ち込んでやりました。

その頃から国語研究史をなさっていたんですね。

「巻絹」という演目を演じる機会がありました。私の役は、絹を届ける途中に音無の天神というところで梅に目を奪われ、そこで歌を詠んで、到着が遅れてしまい、それで縛られたところに天神の救いがある、というものです。そのとき、天神の役をされた老婦人が「せっかくなので、これを絵にしたい」と。で、その絵を湯島天神に寄贈したんですね。なので、受験生が湯島にお参りすると、私の描かれた絵も拝んでたんですよ(笑)。ただ、残念ながら先年、その絵は外されてしまいました。

先生に誘われた形なんですね。

そうかもしれません。先生をすごく尊敬していたから、受験してもいいのかもしれないなーと思って、僕はあまり大事なことは迷わないほうだから内定もやめて。

やめたんですか!

でも、少しずつですね。2年だったらもうちょっと勉強してもいいなあ、と思って進学を決めました。

じゃあ、最初は大学の先生になるんだ、というような気持ちではなかったんですね。

全然ありませんでした。もうちょっとやってみよう、もうちょっとやってみようと。ただそのきっかけとして僕自身の言葉に対する楽しさ、これは僕はプラモデルをいじるような楽しさっていうふうに感じているんですが、それと、森岡先生に頂いたこと、その2つがあったんでしょうね。

三足のわらじ

そういう風にして研究の道に進まれたわけですが、では、大学院時代はずっと森岡先生に?

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ええ。修士は3年かかったんですが、宣長の『古事記伝』の語学的方法をやりました。 それで、次にどうするか悩んだんですが、ドクターに行くと同時に、東京都の試験も受けたんです。

教員採用試験ですね。

それで、水道橋の近くの都立工芸高校の定時制に務めることになりました。さらに同時に、森岡先生の意向でドクター1年の時に、国立国語研究所の辞典研究準備室というところにも行きました。国立国語研究所がちょうど辞書を作るためにドクターを集めていたんです。というわけで、そこと、定時制の高校と、ドクター。

二足ならぬ三足のわらじですね!

それを3年続けました。でも、自分でも中途半端で自分がわからなくなっちゃったんです。で、3年目の途中に先生に呼びつけられまして、「ここでもう思い切れ」と。研究をするのか、教師を続けるのか決めなければならないと言われました。辛かったですね。自分の研究がものになるかどうかはわからなかったですし。それがは背水の陣でしたね。もうちょっとやってみようと。三足のわらじを履くんじゃなくてもう研究だけにしようと。それで教師を止めることに決めていたら、ノートルダム清心女子大に口があったんですよ。ただ、夏に面接があって、その年の秋から非常勤で来てくださいって言われて、東京から行くわけですよ。

その半年は東京から通っていたんですか!?

まあ、言ってみれば試用期間ですね。

じゃあ、院生時代、特にドクター時代は本当にお忙しかったんですね。

収入は、清心に就職してからの方が下がったぐらいですよ。三足のわらじを履いているわけですから。

研究者として

そこから研究者としての生活が始まって今に至るわけですね。では、今の研究テーマをわかりやすくお話いただけますか?

わかりやすく言うと江戸後期から明治にかけての日本語の歴史ですね。違う言い方をすれば、今の、これはもちろん世代によって違いはあるんですが、話され、書かれる日本語がどのようにして変化して今の形になったのかっていうのを研究しています。書き言葉も話し言葉も現代語の一番の源流というのは明治でしょうから。で、その元は後期江戸語になるわけで、その変化の歴史がテーマですね。これは国語史、ということになるんですが、後もう一つは大学院時代に国語学史をやっていたってことから、今は辞書史ですね。『言海』がそうなんですが、僕の視点はやっぱり過去のものとしての辞書じゃなくて、語彙の面で国語資料としての重要な登録簿なので、その資料性を含めて辞書の成立ということがテーマです。『言海』が国語資料として使えるか、というのはそう簡単なものではないんですよね。

具体的にはどのような問題が?

『言海』は明治二十年代に作られ、大槻は普通語の辞書と謳っているんですが、結構特殊な言葉も載っているんですね。つまり、その普通語のというのはどういう実質なのか、ということはそんなに簡単にはわからないんです。『言海』は近世期の多くの国語学の成果を取り込んでいるんです。ただ、それは大槻の目を通しているわけですから、『言海』というのは近世と近代が融合している姿なんですね。

なるほど。『言海』は最初の近代語の辞書と言われていますが、何か面白いエピソードはありますか?

やっぱり、猫でしょうね。『言海』の猫の記述を読むと、本当に彷彿とさせるような記述なんですよね。瞳は昼間は狭いけど夜になると大きくなるとか、毛並みのことだとか、よく寝る、とか。で、よく流石大槻による猫の記述だ、と取り上げられることが多いんですが、これは実は近世期の辞書の記述が集大成されているんです。

なるほど。多くのものにあたって、辞書が作られたんですね。

他にも方言なども載っているんです。そういったことを明らかにすることが辞書の資料性を明らかにすることだと思います。評価の問題もありますね、何を収録するのかという。見坊豪紀先生なんかは「辞書は世の中を移す鏡だ」と言っていますね。普通語っていうのは言葉の代表選手ですから。

その代表選手を如何に選考するか、ということですね。

そうですね、時代が変われば選手も変わります。だから改訂がある、と言えるかもしれませんね。

その時代の変化が明治時代にも起こったということでしょうか?

ええ、現代語に直結する大きな変化です。いつも学生に4つの変化が起こったと言っているんですが、1.語彙の更新、2.標準語の成立、3.言文一致体の成立、4.待遇法の変化、これは言葉で人を遇する方法ですが、近世期とはまるで違っています。で、この変化というのは非常に大きな変化ですよ。例えば12,3才、今でいう中学生ぐらいの時に明治維新を迎えた人が、40才を迎えた時に言葉の様子が変わっているほどです。今でも言葉が変化しているとか、若者の言葉が乱れたとか言われていますが、明治維新の頃の変化に比べたら緩やかでしょう。ただ、それは明治だけを見てもわからないので、前史として江戸後期から見ています。

言語を研究する魅力

明らかにすべき問題はたくさんありますね。それでは、言語を研究するということの魅力は何でしょうか?

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身近なものが研究の対象になるということですね。例えば、僕がこうさらさらとメモを書いても、それは文学にはなりません。しかし、国語学では研究の対象なんですね。卒論を指導するときでもまず身近なところから始めるように言っています。いろいろ面接して、「それ、研究テーマになるよ!」みたいな。「方言がテーマになるでしょうか?」という学生もいますが、絶対になります。最初はなかなか気づかないんですが、調べていくとどんどん新しいことがわかります。

ということは今までの卒業生は必ずしも近代語や近世語で卒論を書いたわけではないということですね。

ゼミでやるので、もちろん、人情本などの資料を使った国語史的研究、『浮世床』とか『浮世風呂』における女性の言葉などを研究した学生もいますが、現代語でファーストフードでの接客の言葉を扱った学生もいます。

それは本当に社会の身近な言葉ですね。

後、面白かったのは若者の不快表現、よく電車の中で男性が女性にすごくぞんざいな言葉を使って話しているのを見るじゃないですか?

「知らねぇよ」みたいなものですか?

そうそう、そういう若い男性の不愉快な表現を取り上げた学生もいます。方言、すなわち地域言語でも、切り取り方も様々ですね。語彙をやる学生もいれば音韻融合をやる学生もいます。

本当に様々ですね。割合としてはどのような感じでしたか?

方言をやる学生が一番多くて、後は、授業で扱ったテキストを使った史的研究が多いですね。方言といっても記述的なものですが。後は、芥川の文学作品における語法・文法、といったものもありますね。あれは今の感覚からすると結構違和感のある表現も多いんです。

様々なところからテーマを拾えるというのが日本語学の魅力ということでしょうか。

そう思います。自分にあった問題、材料が探せるということじゃないですか。どれがオーソドックスな研究、ということは我々ではないんじゃないですか。音韻、文法、語彙、言語生活、言語意識、同じ材料を扱っても切り取り方が様々です。未開拓の分野が多いですね。この面からは扱われていてもこの面からは全く扱われていない、というような。だから、言語を研究している人たちって、よく言葉の問題で討議したりするでしょう。時代とか関係ないでしょう。

ええ、そうですね。僕も古代語をやっている学生と議論したりしますからね。

同じ土俵に乗りやすい、というのが醍醐味ですね。言語系の教員が集まるとすぐ「こういう言い方ってアリですかね?」って盛り上がります。 学生とも同じですね。

学び続けること、一つのものを究めるということ

確かに、学生ともちょっとしたことで話題になりやすいですね。最後に、実践女子大で学ぶ学生にメッセージをお願いします。

国文学科には幅広いテーマの先生が揃っています。幅広く勉強して、ひとつのことを追求するきっかけを掴んでほしいです。最初から決めている場合もあるだろうけど、せっかく大学に来たんだから、とりあえず広げてみて。それからまた元に戻るんだったらそれでもいいし、もしかしたらまた他の、あなたの興味をかきたてるものがあるかもしれません。

まさに、湯浅先生が国文学から入って、森岡先生との出会いを通して国語学の研究者になったように、ですね。

それには、国文学科はいい環境です。環境を活用して欲しいですね。先生方を利用してください。社会が求めるのは学んだことの成果ではなく、学び続ける力です。みなさんは卒業すると学士になりますが、学士というのは学び続ける人、という証拠ですよ。学び続けること、一つのものを究めるということ、それを大学時代にトレーニングしてください。
(聞き手 助教:中俣 尚己)