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向田邦子

画像イメージ「実践女子大学卒業アルバム」より

【略歴】
1929年11月28日、東京府荏原郡世田谷町生まれ。実践女子専門学校卒業後、映画雑誌の編集者のかたわら、1958年頃から市川三郎氏に師事し、ラジオ、テレビの台本を書く。1964年のテレビドラマ「七人の孫」で売れっ子となり、以後、「だいこんの花」(1970年)、「寺内貫太郎一家」(1974年)、「阿修羅のごとく」(1979年)、「あ・うん」(1980年)、「隣りの女」(1981年)などのドラマで高視聴率作家の座を維持し続けた。書いたテレビドラマの脚本は1,000本以上に上り、ラジオに関しては10,000本を越えるという莫大な数になる。絶妙なセリフ、巧みな構成で〝向田ドラマ〟と呼ばれ、現在隆盛のホームドラマの基礎を築いた。また、PR誌に連載した明治生まれの父親像を描いたエッセイ「父の詫び状」で作家としてもデビュー。1980年には独特の感性で書いた短編「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」(「思い出トランプ」所収)で第83回直木賞受賞。鋭い人間観察にもとづく描写が特徴で、小説家としても高い評価を得る。

1981年8月22日逝去。享年51。1983年にはすぐれた脚本に与えられる「向田邦子賞」が創設された。

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