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本間久雄文庫

文庫構成

本間久雄博士旧蔵書、英国世紀末文学・文化関係の洋書1211点を含む。英国世紀末唯美主義を代表する芸術家オスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)の遺髪・原稿・書簡・初版本などのワイルド・コレクションを中心とし、特に、ワイルドに関する切抜帖(メーソン・ライブラリー)は、本間文庫の中核を成し、世界的な評価を受けています。この切抜帖は、ワイルドについて、世紀末研究の第一人者ウォルター・ハミルトン(Walter Hamilton)が創始し、その後スチュアート・メーソン(Stuart Mason)により完成されたもので、全17集から成ります。ハミルトンとメーソンが、ワイルド存命中の1870年代から、1922年までその活躍していた時代のリアルタイムの資料を、小説・劇作・詩などワイルドのあらゆる分野について、ほぼ完璧にスクラップした世界に二つとない、極めて貴重な資料です。

これらの資料については、1928-29年に、英国で早大在外研究中の本間博士が、ワイルドの書誌研究家でコレクターとしても名高いスチュアート・メーソンの死後、ロンドンの老舗古書店に売りに出されていた厖大なワイルド・コレクションに出会い、多くの資料を入手したもので、それらが現在の本間文庫を形成しています。

本間博士は帰国後、1934年に公にした大著『英国近世唯美主義の研究』(東京堂)の基本資料として、これらを活用しています。また博士は、この時英国で、オスカー・ワイルドの次男ヴィヴィアン・ホランド氏(Vyvyan Holland)との知遇を得て、ワイルドの遺髪を贈られました。その遺髪はホランド氏直筆の贈り状と共に、現在、本学本間文庫に保存されています。

画像イメージ

本学所蔵の経緯

本間久雄博士の旧蔵書中、明治文学を中心とする日本文学関係の多くは1978年に早稲田大学に寄贈されましたが、英文学関係資料は、1981年に本間家遺族より本学に寄贈され、「本間久雄文庫」として、本学渋谷キャンパスの図書館特殊資料室に収められました。上記のオスカー・ワイルドを中心とする英国世紀末文学・文化コレクションの中核を成しています。これには生前、本間博士と親交が厚かった小倉皐文学部長の尽力によるところが大です。

 この切抜帖の一般公開は、確認されているだけでも3回しかありません。
 ・1934年 6月 東京堂画廊で行われた本間所蔵のワイルド収集資料展 (「東京日日新聞」1934年6月29日)
 ・1989年12月 日本ワイルド協会平成元年秋季大会でのオスカー・ワイルド・コレクション展
 ・2000年 6月 私立大学図書館協会東地区部会総会でのオスカー・ワイルド展

 この度、当館で電子化を行い、当「切抜帖」を公開することになった。
 公開により全貌が明らかになる当切抜帖が、ワイルド研究の発展の一助となれば幸いである。

 特設サイトは、こちら

集書者

本間久雄(1886-1981)
文学博士。英文学者、明治文学者、文芸評論家。早稲田大学・実践女子大学名誉教授。山形県米沢市出身。1909年、坪内逍遥を慕って、早稲田大学英文学科に入学。坪内逍遙、島村抱月の影響を受け、卒業論文はオスカー・ワイルド。卒業後、『早稲田文学』同人となり、1918年にはその主幹と早大講師を兼務し、逍遙、抱月の学統を継ぎ、明治末年から文芸評論で活躍しました。

1928-9年、早稲田大学の在外研究で英国に滞在中、ロンドンの古書籍商で、「ワイルド・コレクション」に出会い、現在の本間文庫の中枢を占めるオスカー・ワイルドの膨大な資料を買い求めました。その縁でワイルドの次男ヴィヴィアン・ホランド氏と知り合い、親交を深め、ワイルドの遺髪を贈られ、さらにDe Profundisの発禁部分の原稿を手写する許しを得ました。

1935年より『明治文学史』全5巻を出版。上記の資料を基にして、1936年『近世英国唯美主義の研究』で文学博士。1931-57年早稲田大学教授。1958-62年本学教授。1962-74年立正大学教授。1981年に亡くなる直前まで本学講師として、文学部では「文学概論」を、大学院イギリス文学専攻では「英文学研究」を担当し、多くの卒業生を育てました。

所蔵場所

渋谷地下1階の貴重書庫室配架場所
 本間文庫資料請求番号:0001~1211
 蔵書検索方法:本学の蔵書検索(OPAC)にて検索できます。

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