第21号(1998.12)        目次に戻る


ロンドン通信

短期大学国文学科 助教授 高 瀬 真 理 子 

(長期海外研修中)

 イギリスには初めて来た。地下鉄の乗り方も知らなければ、英語もうまく聞き取れない。翌日から家を探し、住み、漱石の後追いから始まった美術館通いも、いつの間にか自分自身が絵画の世界に入好みり込み、や鑑賞能力が養われてきた。昨日分からなかったこ来なかっと、昨日出たことが、今日は分かるようになり、今日は出る、そういうき来るようになわめてシンプルな喜びのうちに毎日を過ごしている。

 ナショナル・ギャラリー、テート、ウォーレス、コートールド、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツなど、日本では考えられないほど膨大な絵画コレクションがある。それらに繰り返し足を運んでいる。絵画も文学作品と同じく、一度見てそれでお終いというものではない。一枚の絵にも昨日見えなかったことが、今日は見えるということがある。展示換えもある。建物がすでに芸術品で、多くは無料で見ることが出来る。漱石も出かけたイギリス初の美術館、ダリッジや近所のケンウッド・ハウスにも散歩がてら出かける。それぞれにさりげなく名画が飾られているのに驚く。カレッジの落ちついた雰囲気の中にあるダリッジ。ハムステッド・ヒースに隣接した広大なケンウッド。漱石が、絵画を見て歩き、事跡を訪ね、ガイドブックを読みながら、喜々として作品の着想を得た姿が、我がことのように身近に理解されるようになる。

 地下鉄を乗りこなせるようになって「A to Z」を片手に街を歩き回り、鉄道で近郊へ行けるようになり、さらに洋書のガイドブックを入手して、郊外、地方へと出られるようになった。今までにエディンバラ、バース、ドーバー、カンタベリー、ソールズベリなどへも出かけている。

 家では、絵はがきを整理したり、ガイドブックや解説書を辞書と首っ引きで読んだりしている。すると、単に見ただけでは気がつかなかったことや新たな課題が見つかって世界が広がる。次に見たいもの知りたいものが現われて尽きることがない。

 この日は、ケンブリッジのフィッツウィリアム博物館へ出かけた。150周年記念の展覧会をやっているが、その展示量の多さには驚く。絵画だけで一日がかり。陶器やその他のコレクションまで見て歩くと、おそらくここだけで、2、3日必要になる。著名な画家の思わぬ絵や、漱石も影響を受けたラファエル前派関係に収穫があって満足している。電車でわずか1時間ばかりだが、車窓は羊と牛とコートを着た馬の遊ぶ牧草地ばかりである。

 そういう自然、気候、景色も大いに新鮮である。イギリスの色彩は日本のそれとは違う。たとえば、ホルマン・ハントの鮮やかな色彩は、イギリスの太陽光線のものだと住んでみて理解できる。漱石が、ミステリアスな雰囲気を醸し始める十月のロンドンに到着したことも「倫敦塔」の成立には大きかったように感じ始めている。作中に登場する「灰汁桶」に喩えられる空の様子も日本の曇天とはやはり違う。

 今年、私の最も専門とするところとは、無縁の一年であろうと思っていた。しかし、ここで、特にターナーの絵画を見て過ごすうちに、日本では思いつかないような大きな着想を得ることが出来た。芸術に国境も文学や美術の区分もない。研究者としてこれほどありがたい収穫はない。