第22号(1999.7)        目次に戻る


大英図書館の明治本のことなど

短期大学国文学科 教授 小 林  修 

 

 先日、市川渡(清流)の『尾蝿欧行漫録』を読んでいたところ、イギリスで大英博物館を見学し、図書室や日本書籍の『伊勢物語』などを見たことが記されており印象に残った。市川は文久2年(1862)の遣欧使節に随行した人物で、これはその折の見聞記だが、この年大英図書館の日本書籍は、まだそれほど充実してはいなかった。シーボルトやアーネスト・サトウの蔵書が寄贈されるのは、日本の時代で言えば共に明治になってからのことである。とりわけアーネスト・サトウ旧蔵の6000点に及ぶ貴重な日本書籍は注目に値するが、そのサトウが市川の『尾蝿欧行漫録』を英訳している事実も興味深い。因みに現在では、ケネス・B・ガードナー編『大英図書館日本古版本目録』(1993)により大英図書館の貴重な日本書籍の存在は広く知られている。


 ところで、私も先年海外研修でイギリスに滞在した時、市川と同じように貴重な展示資料は一通り見学をした。しかし、日本近代文学専攻の私にとっては、正直なところ、これら貴重な古典籍はそれ以上の関心を持つ対象ではなかった。むしろ明治以降の雑書の方に興味があったし、何よりもリーディング・ルームが使用出来ればとの思いから、ともかく閲覧許可証(リーダーズ・パス)を申請した。この時、私の3ヶ月の滞在期間に対し、5年間有効の閲覧証を発行してくれた。(2000年迄有効だから来年まで使用可。)このいかにもふところの深いイギリスらしい処置には感心させられた。また請求図書は請求用紙をカウンターに出し、自席に戻って待っていれば、係員が私の座席まで本を持って来てくれるのである。このサービスは日本の図書館とは大違いで本当に感激させられた。さらに、大英博物館とは別館になっているオリエンタル&インドオフィース(テムズ河をはさんで南の方にある)を訪れてみると、居合わせたハミッシュ・トド氏が私の関心をすばやく理解してくれて『JAPANESE PRINTED BOOKS&MSS』(LONDON 1898)という目録をすすめてくれた。これは約100年前に編まれた(編者不明)蔵書目録で、幕末から明治20年頃までの日本書籍に簡略な解題を付したものである。ちょうど夏目漱石が留学した頃(1900〜1903年)大英図書館にはどのような明治期の日本書籍があったかを知ることが出来るきわめて興味深い目録である。もっとも漱石は大英図書館の閲覧手続きはしなかったようだし、イギリスにある同時代の日本の雑書に興味など持っていたはずはない。彼は猛然と洋書を買い漁り、下宿に籠城して読みふけっていたようである。だが私には明治期の雑書は興味深い。漫然とカードを操ってみる他ない(実際カードを操ってみたが、最近の日本書籍も大量にふくまれている中から興味深いものを探し出すのは至難の技である。)と思っていた私にとって、この百年前の蔵書目録はそれ自体が貴重で有難いものであった。その中から珍しい一例を挙げれば島崎正樹『栄樹葉』がある。島崎藤村の父親であるが、こうした書物の存在は日本では知られていない。英文の説明は<“Sakaki Leaves” A prayer−book pp.7 [1875?]>とある。実物を請求してみると折本仕立て(7.5×18cm)7丁の祝詞である。紺の表紙に赤い題簽。「栄樹葉」の文字の下に「天神地祇及産土神諸乃神多知袁拜辞」とある。平田派の国学者であり神官も務めた正樹の一面を知る資料である。キリスト教の祈祷書の伝統がある国ゆえに、こうしたものも書物として収集され保存されたものであろう。奥付や刊記はないが、(1875?)明治8年と推定されている。また松田正助編『戊辰以来新刻書目一覧』(明治7年)も先頃拙論を草したゆえに興味深い。その他、私の研究領域にとって貴重なものもあるが、紙幅の都合で稿をあらためる他ない。