第23号(1999.12)         目次に戻る


古典籍紹介 2

清水浜臣本うつほ物語

大学院 文学研究科 非常勤講師 野 口 元 大

 

 さきごろ本学図書館の黒川文庫に新しい書物が加わった。清水浜臣が自らの考察・研究を詳細に書き入れた『うつほ物語』の写本一部20冊の袋綴じ本。表紙は淡黄色の厚手紙に花菱つなぎ文様の空押し、料紙は薄葉の斐紙で、古写本を敷き写しにしたものかと推測される。

 『うつほ物語』は、現在ほとんどの活字本の底本には前田本が用いられ、一部に浜田本が採択されているが、この物語の研究が本格的に始まった江戸時代半ば過ぎのころは、これらの本は大名家の秘庫に深く蔵され、市井の学者の手の届くものではなかった。

 そのために当時の学者たちは善本を求めて苦心し、彼らがかろうじて求め得て「古本」と呼んだテキストがあるが、本書はその姿を最もよく伝えるものと言える。また『うつほ物語』の本格的な注釈書の最初のものは浜臣の『空穂物語考証』であるが、本書はその準備段階の足跡を示している。

 当時のテキストはかなり乱れたものだったので、研究の第一歩は、各巻の巻名と内容との一致、また巻の順序はどうあるべきか、といったところから出発しなければならなかった。さらに内容の理解に進もうとすると、文意が通じない箇所が続出し、巻によっては大きな錯簡があったりする。本書には至るところに、書き入れがされていて、行間にも上欄にも細かい字で、また墨ばかりでなく、朱や青で傍線が引かれたり、傍点・圏点が施されたりしている。幾度となく研究が重ねられたらしい。

 それらを観察すると、求め得る限り他本との校異を取り入れて文意を把握しようとし、登場人物と彼ら相互の関係を明確にしるしづけ、また考証や注釈を必要とする語句を摘出するなどの作業が行われていたことが読み取れる。

 ことに大きな成果を挙げたのは、「初秋」と「国譲中」における大きな錯簡の復元の試みだった。ことに「初秋」ではほぼ成功していると言えよう。「国譲中」の場合は『空穂物語考証』ではあまり複雑に考え過ぎて混乱に陥っているのだが。

 こうした緻密な研究によって、浜臣が研究者仲間での地位を高めるにつれ、本書も標準的テキストとなったらしい。現在各所に残されている写本の中に、《清水浜臣本系統》と呼ばれる一群がある。それらの共通の特徴として、中世を通り抜けてきて写本の仮名遣いは大きく変化してしまっているのが通例なのに、歴史的仮名遣いが正しく保たれていることが注目をひいてきた。本書をよく見ると、問題の仮名遣いの箇所では、もとの字がていねいに擦り消され、その上から正しい仮名遣いに改められている。浜臣の手で修正されたことが明らかで、疑問が晴らされるとともに、そうしたテキスト群はすべて本書の下位に立つことが確認できる。

 図版でも見られるように、本書には各冊の冒頭に「清水浜臣蔵書」という大きな印、巻末には「泊泊舎蔵」の朱印があって、これが浜臣の手沢本であったことを明示し、書き入れは筆跡から浜臣自身の手になると認められる。巻頭下部に「黒川真頼蔵書」「黒川真道蔵書」また「黒川真前蔵書」の朱印があり、この本が黒川家代々のものであることが確認される。真頼の養父春村は浜臣と親しい交友関係にあったので、本書が黒川家に伝わったのは自然のことだった。戦後の混乱の中で黒川家の蔵書群から離れた本書がここ黒川文庫に再び戻れたことは、まことに所を得たものでめでたく嬉しい限りである。