卒業論文要旨(2005年度)

闇の風景 〜現代人の失った闇〜

2005年度卒業論文 空間デザイン研究室 加藤理恵子

1.はじめに

私たちは快適で便利な生活を切望し、光を求めた結果、現代は豊かな生活を手に入れたようにみえる。しかし「闇を無くす」=「豊かな生活」なのだろうか。失われた闇の存在意義を考える。

2.かつての生活と闇

(1)生活空間
 福島県但馬町の馬宿を中心に、見学や当時の生活の様子を知る方からお話をうかがった(下図参照)。当時は夜明けと共にその日一日の生活が始まり、日暮れと共に活動を終了する…自然の流れに沿うように人々の生活があった。夜は全てが闇で覆われ、家の中でも囲炉裏の周り以外は殆どが闇に包まれていた。人々は大きな夜の闇にあるわずかな光に集まっていた。祖父母、父母、子どもたちが集う囲炉裏は生活の中心となり、家族団欒や夜業仕事、また家庭教育の場としても大切な場所であった。
 こうした民家建築について乾正雄は、黒みを帯びた木材や砂壁、また畳を多用した日本座敷は暗さと黒さがからみ合う日本美の世界であると述べている(*1)。

(2)照明
 谷崎潤一郎が「一層暗い燭台に改めて、その穂のゆらゆらとまたたく陰にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。」(*2)と描写しているように、炎の醸し出す光やゆらめき、それを取り囲む陰影や闇の中で生活していたことがわかる。燭台や行灯の光が四方へ飛び、畳からの反射による下から上への柔らかな照明は我々の文化には必要なものであり(*1)、そこに身を置くことで精神の安らぎや高揚が期待できた(*3)。

(3)闇と妖怪
 小松和彦によると人間は自分を中心に空間の分類・組織化を行うことにより不安な空間をつくり、「奥」という日本独特の観念が更に空間に深みを与えるものとなった。また自分自身に存在する「心の闇」の存在も指摘している(*4)。人はさまざまな恐怖や不安と対峙してきた。だが目に見えない相手との対峙は恐ろしいものであった。そこで姿かたちを付け「妖怪」とし、全てを呑み込む闇をこの妖怪が出現する空間とした。しかし逆に言えば闇という空間を利用し、妖怪を闇に封じ込めていたとも考えられる。

3.現代の変化と闇

 新しい技術による生活の合理化・改善は照明の普及を促し、昼と夜の境を無くしていった。生活空間には陰影がなくなり日本人の感性を変えていき(*3)、闇の減少により妖怪も減少の一途を辿ることになった(*4)。しかし現在、照明の見直しや陰影、妖怪への郷愁(*5)が注目され始めている。

4.まとめ

 馬宿の生活に見る囲炉裏の姿、闇に灯る光の空間が集いの場となっている。このとき闇の存在こそがコミュニケーションを深めてきた側面があるのではないか。闇の中での不自由さがお互いを助け合い、協力し合う関係を築くのである。また闇は私たちの成長に大きな役割を果たしてきたのではないか。妖怪の棲む空間、闇の空間に対する好奇心や探求心。恐怖を乗り越えまた受け入れることによって人は成長していくのである。想像力の源泉であり、喜びを感じるなど闇は私たちに様々なものを与えてくれる。光は闇と共にあり、闇も光と共にある。私たちにとって闇もまた必要不可欠な存在なのである。

<参考文献>
(*1)乾正雄「夜は暗くてはいけないか」(1998年)
(*2)谷崎潤一郎「陰影礼賛」(1975年)
(*3)中島龍興「照明『あかり』の設計」(2000年)
(*4)小松和彦「妖怪学新考」(1994年)
(*5)岩井宏實監修「図説日本の妖怪」(1990年)
(*6)田島町教育委員会「新しい価値創造としての民家保存」
(図)田島馬宿の空間と生活
おら達が子どもの頃は今と違ってぇ兄弟がだ〜くさんいたんだぁ〜。学校から帰ると家の手伝いだ、夜はみんなカッテにいたなぁ。外に出ることはほとんどなかったよ。真っ暗でなーんもみえない。明かりも提灯くらいだからねぇ〜。昔はなぁんにもなくてなぁ。電気と自動車とテレビは本当にありがたい。あぁ、そーいや夜、便所さいくとキツネが付いてくんだ。気が付くと外をぐるぐる彷徨ってることがよくあったんだぁ。しかし最近のキツネは化かさなくなったなぁ。



2003-2005, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.
Status: 2006-02-14更新