卒業研究要旨(2017年度)

ヒト結び

2017年度卒業研究 空間デザイン研究室 柏木由美

1.はじめに

 自分を知るということは過去を振り返ることである。ヒトは何かを忘れて生きている。今、当たり前になっているものへの感謝、周りへの感情、憤りでも悲しみでも喜びでも少し思い出してみる。そうすることで、自分の周り、環境が見えてくる。他のヒトの意見に包まれない、自分の感情を放出することができるのではないか。

 私たちは日々他人と過ごし、他のヒトの目を気にし、自分の感情を抑えて生きている。抑えているうちに自分のことがわからなくなってくる。自分のしたいことは何だろう。何が好きか、何が嫌いか。ただ流されて生きていて、自分自身のことが分からない。ただ流されているだけから、ちょっと立ち止まってヒトリ、自分を理解する時間が必要だ。

 遺体の引き取り手のいない無縁死は年間3万人にものぼる。その中で名前もわからないヒトは千人にも及ぶ。しかしそれ以外は身元が分かっているのにもかかわらず引き取られない遺骨である。「普通」の暮らし送っていたのかもしれないけれど、何かのきっかけで、社会的に孤立せざるをえなかったのかもしれない。それぞれの人生があったはずなのに、社会から孤立し、孤独な想いを抱えながら、死ぬ時もヒトリ、さらには死んでからも行き場がないというのは、端から見ると悲しいものである。

 供養とは人を慰めることでもあるが、自分を慰めることでもある。自分を慰める延長線上に「供養」があるのではないか。自分の過去を見つめる・慰める瞑想の場と、敗者・墓を持たない人への供養の場の提案である。

2.敷地概要

東京都千代田区千代田1-1
敷地面積:約96万m2

 皇居について、天皇について何か踏み入れてはいけないような、そもそも存在しないかのような不思議な印象がある。なんとなく知らない存在、「空虚」な存在。この「無」の空間にこそ、0葬、引き取り手「無」し、魂抜きした「無」縁墓、感情の湧か「ない」ヒトを扱う場所として相応しいのではないか。

 日本では敗者を供養してきた伝統がある。自死、孤独死、行旅死亡人、0葬もある意味では敗者である。この供養を天皇にしていただきたい。天皇は祈ることが公務でもある。ヒトリで死んでいっても誰かの祈り、供養はもらえると死ぬ時に少し安心できる。

3.設計コンセプト

 死んだヒトリと生きているヒトリを結ぶ。

 自分を知るために生きているヒトリは日々の生活から少し立ち止まって自分を振り返る。そこで出た思いを紙に書き出し、結ぶ。集まった思いの集合は故人のもう表すことのできない想いと共に昇華される。人生は全てが必然であり、無数の選択肢があるように見えるが、その選択を選ぶことも必然。一本の楽だけでなく、苦もある道をめぐり、自分の考えを整理していく。

4.制作計画

 ヒトは縁を結びながら生きている。縁は円。日本では九が苦に通ずる為、忌み数とも、奇数の為縁起がいいともされている二つの側面を持つ「九」つの円をめぐる。円は自分軸を見つけられるよう敷地の中心を軸として配置。下から上に歩いていくことで気持ちの上昇を促す。

(図1)敷地図面
(図2)制作イメージ(写真)



2003-2018, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.
Status: 2018-01-23更新