卒業研究要旨(2019年度)

武蔵小杉再開発の経緯と課題

2019年度卒業研究 空間デザイン研究室 田中美彩

1.研究背景・目的

 武蔵小杉では現在、大々的な再開発計画が進んでいる。現在駅周辺にタワーマンションが14棟建っており、ここ10年で人口が約3万人増加した。複合商業施設や横須賀線開通により利用者も増加した。なぜ武蔵小杉という都心でも何でもないような場所に、複数のタワーマンションや複合商業施設が立ち並ぶようになったのか。

 本研究ではその謎を川崎市の発展と共に見ていく。そして、過去の再開発計画の一例として原因や経緯を掘り下げ、まとめることを目的とする。

2.研究方法

 川崎市のHPにあげられていた武蔵小杉の再開発に関わる資料、区や市の図書館に収集されている関連書籍等を探査・検証し、再開発計画の経緯や原因を調査するとともに、その課題について考察する。

3.武蔵小杉再開発の起点と経緯

3-1.アクセスの良さ

 川崎市を横断する路線は、東京中心・副都心へ繋がる線路である。これらは、東京のおよその地域、さらには神奈川県の各地を結ぶ役割を担っている。

 東京−横浜間を繋ぐ東急東横線に次いで、JR横須賀線・湘南新宿ラインが開通した武蔵小杉も、その拠点の一つである。

 また、川崎市全体を見たとき、武蔵小杉のある中原区は市の中心に位置する。その中原区の行政が集中する武蔵小杉は、自然と人の流れが多くなる。

3-2.歴史から辿る再開発までの経緯

i. 工場のまち「かわさき」

 もともと川崎は働くための街。かつては臨海部に広がる多くの工場に勤務の人たちが朝から晩まで働いて帰るための街だった。しかし、それと同時に、工場の排気ガスが周辺地域にまで蔓延し、「空気の汚い街」という印象を持たれるようになる。

ii. 1964年東京オリンピックと環境改善

 開催が決定して以降、東京周辺の環境が大幅に整備された。特に多摩川沿いに緑地帯が整備され、徐々に空気が緩和され、多摩川に遊びに来る人達が楽しめるようになった。川の魚も、環境が綺麗になったことによって増えた。

iii. 再開発計画と武蔵小杉に吹いた追い風

 1988年に創設された再開発地区計画制度により、全国的に再開発に対する機運が高まった。武蔵小杉も小規模だが再開発の計画が建てられたが、2000年代に入り駅周辺の工場が次々と地方に移転し、広大な用地が出現した。これをきっかけに、計画はより大規模なものとなった。

iv. 緩和され続ける制限とタワーマンション

 まちの再開発を進める武蔵小杉は、国からの補助金を受けてさらに開発を進めていった。年々改正されていく都市開発法や建築基準法等の規制緩和によって、一定の土地に建てられるビルの高さが引き上げられた。2008年には川崎市が武蔵小杉を高度利用地区に認定し、民間活力の活用という名のもと、超高層マンションの建設ラッシュとなり、タワマンが林立することとなった。

3-3.市が目指した都市像

i. 副都心という新たな役割

 「広域調和・地域連携型」な都市構造を目指す川崎市の中で、武蔵小杉は多方に広がる交通網を活かして、隣接都市拠点との調和に重きを置いた「広域拠点」という役割を担うこととなった。

ii. 持続型社会と地方分権

 駅周辺の各エリアにも、それぞれに合わせた役割が設定されており、ひとつの完成された都市のような構成がなされている。急速に進む少子高齢化の中、協働でまちづくりを行い、都市機能の集約と持続型の社会を目指している。

4.武蔵小杉再開発の課題

 再開発を進めていく中、生まれ変わった武蔵小杉には発展と同時に様々な課題や問題が上がっている。
・駅利用者急増による渋滞
・インフラ不足
・ビル風
・地域の分断
・新旧住民のギャップ
・投機目的で購入されたタワマンの空室が多い

 民間企業によるマンション建設が引き起こしたこれらの課題は、経済性を優先する急激な開発に行政の予想が追いついていない状況の現れではないか。

5.考察・まとめ

 今の武蔵小杉に、市が目指したような”調和したまち”は見えてこない。民間主導を重んじるあまり、行政がまちの発展を調整しきれていない。タワマンの林立は、武蔵小杉の目指す街並みにとって、孤立してしまったランドマークでしかないのかもしれない。



2003-2020, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.
Status: 2020-01-23更新