卒業研究要旨(2019年度)

秋葉原の移り変わりと住民生活の変化

2019年度卒業研究 空間デザイン研究室 山本優海

1.はじめに

 秋葉原といえば、昔から電気街方面で、いまやメイド、アニメといった日本のポップカルチャーが集まる街のイメージを持つようになった。しかし秋葉原には駅を挟んで電気街方面と反対にある昭和通り方面が存在する。同じ秋葉原でも全然違う表情を見せる2つのエリア。あまり世間に知られていない昭和通りの住民を中心に街の移り変わりと生活変化を追う。

2.研究方法

1)文献による歴史調査
2)地図調査(1953ー2018)から街の変化を読み解く
3)昭和通り方面の住民に対する街の変化と生活の変化に関するアンケート調査26人、ヒアリング調査20人(2019年11月〜12月)の実施

以上3点から街と生活の移り変わりを捉える。秋葉原の範囲は、千代田区が制定する秋葉原地区とする。

3.結果

●かつての秋葉原

 戦前の秋葉原は木造家屋の密集した小さな商店や問屋が立ち並ぶ町で、関東大震災で火災が起こった時は住民が力を合わせて火事の延焼を食い止めるなど、コミュニティと下町気質を強く持つ町であった。

●戦後の発展

 戦後、山手線を挟んだ電気街方面と昭和通り方面で町の変化の仕方に差が現れる。電気街方面は戦後のラジオ・無線の店が栄えたことを契機に大型家電店からパソコンショップが林立する電気の街へ、さらにアニメ・アイドル系のポップカルチャーの街へと時代とともに大きく変化していく。

 一方、昭和通り方面の建物がビルに建て替わる時はこのエリア内ではほとんど同時期であったため、その時は大きく変化したが、その後の変化は比較的緩やかであった。そして、建物はビルに建て替わっているが、多くが持ちビルのため、住民の入れ替わりは少なく、かつてのコミュニティや気質は残っている。個人商店がだんだんと減少し、不便になってきたが、生活の上で電気街方面に足を踏み入れることは少なく、また電気街方面の住民も同様でそれぞれの街という感覚があり、実際の関わりは薄いように見えた。

●近年の変化

 電気街方面では、駅前の再開発等により、大型オフィスビルが増え、街並みが変貌している。ホテルも増加し、国際的な有数観光地として日本人だけででなく、 外国人観光客も増えた。土日は静かだった昭和通り方面にも人が流れ込むようになり、飲み屋や客引きも増え、喧騒的な町に変わりつつある。またマンションが増えるとともに、スーパー等ができ、生活の利便性は高まってきた。住民が増える一方、町会活動や旧住民との関わりは薄く(特に単身者)、新旧住民のギャップが感じられるようになってきている。

4.まとめ

 秋葉原の中でも、時代の流れに敏感に対応して変化する動的な面とかつての下町気質を残す居住の場としての静的な部分が共存し、両者が秋葉原らしさを形作ってきたと言える。近年オフィスビルやマンションなどの立地の利便性や経済性を求めての開発が行われ、住民の多くは、利便性の高まったことを歓迎する一方、誰が住民かわからない寂しさや治安の悪化を心配している。今は街の変化に対し住民自体は変わってないと感じているが、新旧住民のパワーバランスが変化した時にどうなるのであろうか。下町っぽさを残したコミュニティは消えてしまうのだろうか。

(図1)1953年の地図
(図2)電気街方面と昭和通り方面の変化



2003-2020, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.
Status: 2020-01-23更新