2007年度修士論文講評

街域分析からみえる街の魅力の研究

2007年度修士論文 嶋田 麻依子

 本論文は、街における人の行動を丁寧に追跡することから、吉祥寺という街の魅力を見出そうとした論文である。

 これまで都市の価値については、形態的側面、歴史的側面、社会的側面、生活的側面など、さまざまなアプローチで語られてきている。その多くが、その都市の物理的環境(景観・街路形態・建築の用途や規模・付属物等々)や社会的環境(歴史・文化、人々の生活・アクティビティ、コミュニティ)を観察・測定し、その環境的側面が人の行動や生活に及ぼす影響から、都市環境のあり方に言及したものである。しかし本論文は、実際にその町に来て、そこで何らかの行為をしている人の意識や行動を追跡し、一人ひとりの人が町をどのように構造化しているか、という視点から、街の実存的な魅力に切り込もうとする。

 人の認識や行動の広がりから町の構造を捉えようとする手法は、領域論的アプローチに近いものである。しかし領域論がどちらかといえば、自分に心理的に近い領域から遠い領域へと同心円的な構造化を志向することが多いのに対し、本論文では、自分の行動の目的性の強さ/弱さ、という側面から新たな構造化を試みている。その際、目的性の強い区域、すなわち人の目的と目的地とが一対一対応するような強い結びつきではなく、とくに目的もなくぶらぶらと回遊することに焦点を当てようとしていることがユニークである。

 具体的には、一人ひとりの被験者の町での行動をじっくりと分析した結果、各被験者の行動範囲(街域)を、目的と対応した行動圏域、目的をもった回遊行動圏域、目的をもたない回遊行動圏域、等の組み合わせで構成されることを見いだした。その結果として、3種類の街域の構造化のされ方があり、中でも、目的を持たない行動圏域によって街域を構造化する人が多いことが示されている。

 かつてケビン・リンチは、人の都市に対する認識を積み重ねていくことから、都市の価値として「レジビリティ(わかりやすさ)」「イメージアビリティ(イメージしやすさ)」を提唱した。これに対して、本論文では都市における行動を積み重ねていくことから、人が「明確な目的をもたずにぶらぶら回遊できること=ワンダラビリティwanderability 」とでも呼ぶべき、新たな都市の価値を抽出することを試みている。これは、ある場所に次第に馴染み根を下ろしていくような土着的価値とは異なり、いつでも目的なくふらりと訪れることのできる街の開放性、多くの人を受け入れる街の懐の深さと関わるものであろう。そして、街に実際に来て活動している多くの人たちが、この「ぶらぶら回遊できること」に価値を見いだしているという事実は、既存の街を大規模な開発によって、より快適で便利に目的を果たせるものに変貌させることで人を呼び込もうとする考え方に、一石を投じるものと言えよう。

 そして最後に、街の「ぶらぶら回遊できること」は、どうやら物理的な要素のみから生まれるものではないことを考察している。その部分は実証的に示されているわけではないが、街の「気配」と名付けられたそれらの要因は、その街独特の立地と、そこに住む人、そこで商う人、そして外から来て目的を果たしたりぶらぶら回遊する人たちの、生活や行動、あるいは互いの関わりの歴史的な積み重ねによって醸し出されているもののように思われる。人為的に計画されて造り出された疑似都市とは異なる、「生きられた」街のもつ魅力の表現としても可能性をもつものであろう。

 本論文にはまだ荒削りな部分が多々残されているが、新たな都市論やまちづくり論に発展する可能性を期待させるものであり、修士論文に値すると認められる。



2003-2010, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.
Status: 2010-10-24更新