2009年度修士論文講評

建築家中村與資平と実践女子専門学校における『住居』の講義について

2009年度修士論文 石川 翠

 本論文は、実践女子専門学校において戦前、住居学の講義を行った建築家・中村與資平に焦点を当て、その建築活動の足跡や下田歌子との出会いなどを通して、中村版「住居学」の特徴を明らかにしようとするものである。

 中村與資平は、主に銀行や学校建築などを中心に設計活動を行ってきた建築家である。なぜ家政学の一分野である住居学の講義を、住宅設計に携わることのなかった中村が教えることになったのか。本論文の焦点の一つはそこに当てられる。

 東京帝大の建築学科を卒業、辰野金吾の建築事務所に勤めた後、朝鮮半島で独立して事務所を開き、多くの銀行建築をさまざまな洋式を用いて設計している。中村の設計は、自分の表現スタイルを確立しながら社会に多大な影響を与えていくような、いわゆる「建築家」として名を残すようなものではなく、自分の技術と知識を駆使して着実に施主の要請に応えていく技術者としての側面が強い設計であろう。その後、1年の欧州視察旅行でドイツ流の科学教育に強い影響を受け、児童科学教育会を自ら設立するとともに、日本でいくつもの学校建築に携わるようになり、建築よりも教育活動に少しずつ傾倒していったようである。戦後は建築事務所を閉鎖して教育委員会に身を置くなど、建築家としてはユニークな経歴を辿ることになる。本論文では、その児童科学教育会で下田歌子と出会い、また渋沢栄一を介した関わりなどを経て、下田歌子から住居学の講義を依頼されることになったことが考察されている。実践女学校との関わりを深めた中村は、その後、記念館や寄宿舎、大学校舎などを設計している。

 そのような経緯から実現した中村による「住居学」の講義の特徴を見出そうとするのが、本論文のもう一つの目的である。ここでは、学祖下田歌子自ら執筆した『新選家政学』と、中村が講義をもとにして出版した『住居』を比較しながら、当時の講義内容を読み解くことを試みている。

 戦前の家政学では、住居の分野の重要性は高く、専門的水準も高いものであったと言われている。下田歌子による『新選家政学』は、当時の女子高等教育における家政学分野の主テキストであったと思われるが、そこでは住居の分野についてかなりのボリュームを割いて書かれている。ただし、その位置づけはあくまで家政の一部として、家庭の健康・教育・運営の一環としての住居学であった。本論文では、中村がそうした家政学教育の重要性を十分認識した上で、ドイツの科学教育に影響を受けた科学的な視点を重視するとともに、新たに建築構造や法規、建築史などの知識を付加することで、独自の住居学教育を目指したことを明らかにしている。良妻賢母教育として家政の処理を目指すのではなく、「家を建てる人とそこで生活する人」の視点から住居学を再構成したことが、中村の『住居』の大きな特徴として見出されている。そうした特徴は、女性の自活力・実践力獲得を目指した下田歌子の教育思想と合致したことを想像させるものである。

 以上のように、本論文は、多くの文献資料と格闘しながらその歴史を読み解くことで、実践女子大学と深い縁のあった中村與資平という建築家の存在と、そこで行われた住居教育の価値を浮かび上がらせることを試みた労作であり、修士論文に値すると認められる。



2003-2010, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.
Status: 2010-10-24更新