2013年度修士論文講評

まちにおけるひっかかりに関する研究

2013年度修士論文 須永千尋

 一見賑わっているように見える八王子の繁華街だが、そこかしこにシャッターで閉じられた店舗が散在する。そうした空き店舗は確実にまちの賑わいを削ぎ、ポテンシャルを低下させている。本論文は、空き店舗の一つを活用してまちに「ひっかかり」を作り、そこに参与的に関わることによって、その「ひっかかり」の影響力と可能性を見出そうとするものである。

 著者は、八王子市による空き店舗活用のための「チャレンジショップ」プロジェクトにおいて、「まちのoffice」という提案を行い、それが採用され実現されることになった。最初から活用すべき内容を固定するのではなく、まちの人と一緒に活用方法を考えるという名目で、とにかくシャッターを開けて自らそこに常駐しようという試みである。その場所に常駐するだけで、多くのまちの人が興味をもち、話しかけ、議論が交わされる。ときには具体的な活用方法が提案され、あるものは実現されていく。メディアで取り上げられて訪れる人が増え、「まちのofficeを応援する会」が立ち上がっていく。本論文で描かれているのは、この小さな店舗を開いたことで、今までに起こらなかった関わりの輪が発生するプロセスである。著者はそれを、まちにおける「ひっかかり」と表現する。この名称は、既存のビルディングタイプでは表現しきれないが、確かにまちの中で果たしうる役割に対して与えられる。

 とくに機能をもたない「まちのoffice」という「ひっかかり」を設けたことによって、実際にそこに多くの人がひっかかり、まちの人自身のポテンシャルが引き出されているという事実が、本研究の試みをユニークで有意味なものに彩っている。通常の建築行為では、場所に何らかの機能を割り当て、その機能によって人に影響を与えようとする。しかしその際に引き起こされるのは、人がその機能を享受するという受動的な関わりのみである。しかし「まちのoffice」に関わる人たちには、まちについての情報を提供しよう、その人自身の考えを伝えよう、具体的な活用方法を提案しようという、きわめて能動的で主体的な関わりが引き起こされている。「まちのoffice」は、あえて機能を提供しないことによって、まちの人を受動的な「消費者」としてではなく、まちに対して主体的に関わろうとする主体として浮かび上がらせているのである。「まちの人を主体としたまちづくり」という視点は、運動論的・住民参加的なまちづくり活動では言われ尽くされた議論ではあるが、それとはまったく異なる視点、方法から、道行く人を巻き込んでいることは注視すべき点であろう。

 「まちのoffice」には、そこに本人が常駐していたことが、大きな意味をもっている。まちに根ざした特定の場所に、特定の人が顔を見せて存在しているということが、道行く人にとって「ひっかかり」として作用している。かつては普通にまちに存在した、つねにまちに目を向ける人(タウン・ウォッチャー)の存在や、誰もが気軽に話しかけやすいオープンな存在は、まちの消費主義化が進むとともに急速に失われてきた。それは現代のまちから多くの「ひっかかり」が失われたことと期を一にする。「まちのoffice」は、利害関係抜きにまちのことを見ている人、まちのことを考えている人が確かにここにいる、ということを、視覚的にも名称的にも、道行く人に明示している。建築とは、単なる機能の容れ物ではなく、本来場所と人とを結びつける装置であることを、このシンプルな試みは示唆している。

 本論文では、「まちのoffice」を契機として、周囲にさまざまな動きが広がることを「結晶化」と表現する。そして、まちに「ひっかかり」を増やすことで、それらが相互に関わりながら「結晶化」が広がっていく、という新たなまちづくりの形を仮説的に提案している。今回の試みは、その仮説が空想的で無稽なものではなく、部分的に実現可能なものであることを示したものと言える。ただし、これが幸運な一事例である可能性はぬぐえず、定着化に至るにはより長期間にわたる実証が不可欠であり、新しいまちづくりの手法として一般化するには、まだ尚早の感が強い。

 本論文は、客観性や論理性という面では課題を残すとは言え、自ら提案し実践することを通して行われた実証的研究として大きな意義をもつ。その成果は、新たな建築やまちづくりの手法の理論展開に向けられる可能性を孕んでいるものであり、修士論文に値すると認められる。



2003-2014, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.
Status: 2014-03-01更新