2014年度修士論文講評

越境することによる曖昧さがつくる魅力の研究

2014年度修士論文 坂上真緒

 本論文は、都市における公空間(道空間)と私空間(店舗空間)との関係に注目し、曖昧な境界を設けることによる中間的な領域形成がもたらす魅力について明らかにしようとするものである。制度的にみると、都市空間は私有地と公有地に明確な線が引かれ、そこに曖昧な境界は存在しない。しかし空間の使用のされ方には、必ずしも所有形態に規定されない、さまざまなバリエーションが存在している。公的空間を私的に使用したり、私的空間を公的に活用するなど、官民境界を越境した使われ方は制度的にも歴史的にも随所に見受けられ、公と私の中間的な、曖昧な領域を作り出している。それらが都市の中でそれぞれの役割を果たし、それが都市の魅力につながっているのではないか。そうした仮説から、とくに店舗の連なる商業地域(商店街)を対象として、曖昧な領域のバリエーションを抽出しようとする。

 1章で道路等の公共空間の使用に関わる法制度について整理された後、2章として公共空間を活用する事例が紹介される。一つは、従来の公共空間の使用の規制を緩和して、より私的な使われ方に対して開放することで、活気のある空間を積極的に創り出していこうとする社会実験の例である。またもう一つは、歴史的事例として雪国の雁木の例が紹介されている。これらの事例はいずれも、官民境界を越境した空間の使い方を許容することによって、すなわち所有形態と厳密に結びついた使用に限定しない方法によって、都市に統一感や賑わい、利便性をもたらしうることを示している。引き続いて3章では、このようにして創り出された(私的領域と公的領域との間の)中間領域のもつ多義性について議論されている。

 これらの議論を前提、もしくは背景として、4章・5章において、複数の商店街を対象として行われた現地調査の結果、見出された多様な中間領域の実態が提示されている。とくに注目されているのは、各店舗による前面道路に向けての「あふれだし」によって構築される中間領域の様態である。「あふれだし」とは、商品や看板、植物やベンチ等、さまざまな物的要素を店の外部空間にはみ出させて配置する行為をいう。建築物が店内/店外という明瞭な領域を作り出すのと対照的に、「あふれだし」は不定形で曖昧で可変的な中間領域を作り出す。これが、建築的=固定的な街並みに可変性と多義性を与え、それが視覚的にも行動的にも、来街者に影響を及ぼすことが示唆されている。さらに5章では、中間領域を形成する要素として、来街者の滞留行動に注目している。これは、物的環境を外的刺激として捉えてその影響を探ろうとする考え方(刺激-反応モデル)よりも、環境によって影響を受ける人自身もまた環境の一部として他者に対して影響を及ぼし合うという、相互浸透的な考え方に近い。商店街のような環境の魅力を捉えようとすれば、従来の刺激-反応モデルでは十分でなく、より人と環境との相互の関係に着目する必要性が示唆される。

 この論文全体に通底しているのは、従来の空間の管理方法に対する問題意識でもあるように思われる。すなわち、私的空間と公的空間をその所有形態から明確に線引きを行い、私空間はその専有者が管理し、公空間は公的主体が管理するものだ、という考え方に対する疑問である。公共主体が管理する公共空間は、公平性や平等性の視点から、専有的な使用を極力限定しようとする。しかし管理主体が顔の見えない存在であるがゆえに責任の所在が不明確となり、結局のところ「誰のものでもない」領域になってしまっている危惧はないか。むしろ一部の主体による専有的な使用を認めるほうが、そこが責任をもって管理され、結果的に多くの人が関わることで「皆が共有している」領域という感覚を呼び起こす可能性があるのではないか。生き生きとした都市の魅力が、多様な人の多様な振る舞いが生み出す活気や賑わいにあるとすれば、中間領域の様態にその要因や契機を読み取ることは、一つの有効な方法であると言えよう。

 ただし、論文の完成度としてはまだまだ物足りない点が多い。論文としての目的設定が明確ではないため、それぞれの事例が論旨の中に位置づけられておらず、また事例の分析が主観に頼るところが大きく、その論旨も十分に掘り下げられていないため、論文としての客観性や一貫性が十分に担保されていない状況と言える。しかし、複雑な制度のありようや膨大な既往研究を丹念にあたり、現場から多くの事例収集および要素抽出を行うなど、論文作成に対する多大な労力をうかがわせる。さらにその問題意識は、今後の都市計画や建築計画に示唆を与える可能性を感じさせるものであり、修士論文に値すると認められる。



2003-2015, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.
Status: 2015-02-28更新