tachi's COLUMN

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ガスの元栓のない世界(2004.01.27)

 引っ越してみて気付いたのですが、今の家にはガスの元栓というものがありません。ガス器具がないわけでは勿論ありません。ガスレンジもあればガスファンヒーターもあるし、給湯もガスです。給湯についてはメインのスイッチをぽんと入れる必要はありますが、レンジもヒーターも元栓がないのです。ついこの間まで、ガス器具と言えばやはりまずはガスの元栓をひねってから使うものでした。古い団地に住んでいたときには給湯器もなく、風呂を沸かすにも台所でお湯を使うにも、まずガスの元栓を開いて、それから口火をつけて・・・。確かに便利になりました。元栓を閉め忘れて怒られることもありません。大したことではないと言えばないのですが、でもガスの元栓を開くという行為には、ガスがホースでつながっていて、その向こうからガスが送り込まれようとしている、元栓を開くことで、向こうの世界とこちらの世界が連結してガスが使えるようになる、というような世界観の構築につながっているような気がします。ガスが来るぞという実体が(それなりにではありますが)あって、それを元栓をひねるという行為によって身体的にコントロールしていたわけです。でも今の子どもたちは、ガスに元栓というものがあったということすら知らずに大きくなっていくのかもしれません。スイッチさえ入れてしまえばどんな器具も使えるようになる。そのときに自分の家の外から管を通ってガスがやってくるということすら意識に上ることもなく。

 その昔、木と木をこすり合わせて火をおこしていた時代から、このようにして生活は進化してきたのかもしれません。火を起こし、それを維持するのがまさに肉体労働であったときから考えると、夢のような世界なのかもしれません。電気しかり、水道しかり、電話しかり、、、当然ですが、これらのシステムの発達していないかつての時代に戻りたいなどとは考えられません。しかし、ここでちょっと考えておきたいことは、それではそういったさまざまなことが技術によって便利になっていき、その代わりに何を得るようになったのでしょうか。自分で何もないところから火を起こすなどということはできなくなったが、OK、いまではもうそんな技術はさらさら必要ないよ、と。でもそれができなくなった代わりに、その余った時間でわれわれは何ができるようになったのでしょうか。

 たとえば、靴ひもの結び方を、靴もひももまったくない状態で憶えるということは至難の業だろうと思います。それを他人にわかりやすく教えようとすればなおさら難しいでしょう。でも現に目の前に靴とひもという実体があれば、実際に何度か練習することによって、われわれは靴ひもを結べるようになります。それは紛れもない学習によって得られた知恵ということになるでしょうか。そしていったん身につけた「靴ひもを結ぶ」スキルは、靴ひもを目の前にすることでいつでも呼び起こすことができるような種類のものではないかと思います。大げさに言うと、私たちが何もない世界に放り出されたとき、世界を把握するためのとっかかりが全く失われてしまったとき、でもそこに靴とひもとがあれば、少なくとも靴ひもを結ぶことによって、世界とのつながりの一つのきっかけが得られるかもしれません。ひょっとしたら、私たちの日常の暮らしとは、そんなほんのささやかな、しかし確かな手応えのあるとっかかりの蓄積に他ならないかもしれないな、と思ったりしています。

 私たちが生活する上で、靴のひもを結ぶことは、さほど(というよりもまったく)重要なこととは思えません。マジックテープのほうがよほど便利です。それよりも、靴のほうが足に合わせて自動的に伸縮してくれれば、さらに便利なわけです。靴を履くなどという些細なことに気をとられることなく、別のもっと重要なことに、時間も意識も集中できるようになるのです。でも「もっと重要なこと」っていったい何だろう。靴の履き方すら忘れてしまった私たちが目指す生活はどこにあるのだろうか。その疑問は、私たちにとって実はかなり深いテーマであるような気がします。良いとか悪いとかいう問題ではなく、実際に世の中がどんどん便利に快適になっているのは確かです。「あなたはなにもしなくてもいい」というサービスがどんどん溢れていく。そういったサービスにぐるりと取り囲まれてしまったとき、じゃあ「私は何をしたらいいのだろう?」そう、余計なことに気をとられずに、そのことを一生懸命考えればいい。でも何を手がかりにして考えたらいいのだろう?

 「なにもしなくていい」ことは、私たちがサービスの受け手になることであり、私たちの能動的な世界との関わりというものが、少なくともその部分では失われることでもあります。「なにもしなくていい」ことばかり教わりながら「なにをしたらいいか」がなかなか見えてこない世界のもつ問題について、私たちがもうすこし見つめ直してみることも、時には必要なのではないかと思います。


う〜ん、なんだかいくつかのテーマが混在してしまいました。


2003-2004, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.