tachi's COLUMN

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引越屋に就職すること(2004.02.05)

 去年(2003年)の暮れに、転居をしました。距離としては5〜6kmでたいしたことはありませんが、市をまたいで川を越え山を越えた場所に移ったので、周りの環境としてもこれまでとは別世界での生活です。わが家の場合、どちらかといえば転居の回数が多いほうだと思いますが、ここ10年間で7回めの転居となりました。理由はその都度、職場が変わったり、立ち退きにあったりといろいろで、とくに転居が趣味ということではありません。

 まあそれはいいのですが、わが家にもそれなりに荷物がありますので、転居ということになると引越屋さんに頼むことになります。何度も転居をしていますので、こちら側にも多少のノウハウが蓄積されてきて、まずはこことここに見積もりを頼んで、最後はここで勝負をかける、みたいなプランをたてながら、見積もりのお願いをすることになります。引越屋さんの見積もりも相場があるんだかないんだか、見積もりに来た人が責任者か新米のペイペイかで、出てくる額が全然違います。というよりも、こちらの交渉に応じられる権限がまったく違うというべきでしょうか。引越屋さん同士の過当競争もあってか、いろいろ粘っているとかなり下げてくれることもあります。

 ところで、というよりもここからが本題なのですが、ある大手の引越屋に見積もりを頼んだときのことです。私ではなく妻のほうが応対したのですが、社員になりたてのような若い人が来たわりに、接客態度もよく値段の交渉などにも巧みに応じてくれたようです。聞くとまだ大学卒の新入社員ですが、千何百人もの応募者の中から選ばれて入社したとのこと。そのとき何人就職したのかは聞きませんでしたが、それにしてもかなりの高倍率をくぐりぬけた優秀な人材のようでした。今どきの引越屋さんは、運送業のおじさんとか、バイトの若い兄ちゃんというイメージではなく、高度に洗練されたサービス産業なんだなあ、と改めて気付かされ、びっくりさせられた次第です。結局この引越屋さんでは頼まなかったのですが、、、。

 それにしても、このようなこと一つとっても世の中がどんどん複雑になっていることを感じてしまいます。引越屋さんといえども、単なる肉体派の仕事ではない。つねに人とは異なることを考え、一歩先のニーズを捉え、すみずみまで行き届いたサービスを提供するような、創造的な仕事ができる人が求められているわけです。高倍率を勝ち抜いたあの新入社員の人は、そのように選ばれた人材でありました。このようにして世の中のサービスは向上し便利になってきたんだなあと思うとともに、働くことがなんて大変になってきたんだろうとも思います。

 人が創造的に生きていくこと、つねに前を向いて前進していこうとすること、それは素晴らしいことであるし、できれば自分自身でもそうでありたいと思います。しかし、つねに創造的であること、進歩することを要求される社会というのも、なかなか大変な社会ではないかと思ったりするのです。ちょっと疲れたりのんびりしたりしているうちに、あっという間に置いていかれてしまい、いったん取り残されてしまうともはや追いつくこともままならない。大袈裟に言うと、それが果たして豊かな社会なのか、豊かな生活なのか、という気持ちになることも少なくありません。

 創造的であることが煙たがられたり、出る杭は打たれるような社会にはもちろん問題があります。かつての農村社会(のようなもの)は、そのため目の敵にされてきたようなところがあります。しかしその一方、「モモ」の掃除夫ジッポのように、とくに目立った才能もないけれど、目の前のことを一つひとつ着実にこなしていくような人が、ふつうに生活でき、ふつうに認められることは、当たり前のようでいて実はその重要性について語られることは少ないような気がします。あるいは、日常のふつうの生活の中に潜みながら、ふつうの生活を成り立たせているささやかな創造性に、もう少し目を向けてみてもいいんじゃあないの、と言うか。

 「ふつう」って何なんだ、って言われると、そこがまた困るところなんですけどね。


2003-2004, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.