tachi's COLUMN

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マンションに住むこと(2004.03.01)

 昨年暮れから、いわゆるマンション暮らしで、なんだかんだと2ヶ月以上たったことになります。それまでは二階建ての戸建て賃貸だったので、住み心地というか、生活している感覚というのが随分違うような気がします。これは今までの賃貸住宅の立地の問題かもしれませんが、とにかく日当たりが段違いです。冬でも日中は暖房が必要ないという経験は、これまであまりないことでした。湿気もおそらく非常に少なく、初めのうちは乾燥しすぎているようにすら感じたものです。生まれて初の高層居住(といっても6階ですが)で、眺めも悪くありません。ただし、ベランダから下を見おろすと、これはなかなか怖いものがいまだにあります。

 しかし何と言っても一番違うのは、ここが自分の家でありながら、完全には自分の家ではないというような感覚かもしれません。今は6階建ての一番上に住んでいますので上階にはいないのですが、それ以外の左右と下階にはつねに他の人の生活が存在していることを意識せざるを得ないんですね。足の下には全然別の人の別の生活が、それも一つの世界としてあるということ、そしてうっかり大きな音を立てたりすると、その他人の世界をはからずも侵蝕してしまう可能性を潜めているということ、これがなんとなしにある種の緊張感を生み出しているような気がしています。

 一戸建ての場合には、左右の住宅が近接していたとしても壁を共有しているわけではないし、とにかく下には誰もいないということが、その場の専有感を高めているような気がするわけです。これは、集合住宅よりも戸建てのほうが優れている、住宅双六のゴールは一戸建てであるべきだ、ということでは必ずしもありません。集合住宅というのは良きにつけ悪しきにつけ、他人を意識しながら生活することにおいて、戸建てとは違う生活のあり方に他ならないと思います。

 家にいてもつねに他者を意識するということは、窮屈なような気もしますが、ある意味で自分が社会的な存在であることを気付かされるということでもあるのではないでしょうか。もちろん、四六時中人の目にさらされ続けるということは論外ですが、自分と直接利害関係のない人や、たまたま近くに住んでいるだけという人と触れる機会は、昔に比べれば明らかに減少しているのでしょう。家の中に楽しいモノが何でもあって、家にいながらにしていろいろな情報が手に入り、ケータイやインターネットで自分の選んだ人たちとコミュニケーションする。外に出かけても周りの人は単なる風景のように振る舞ってしまう。その意味では、私たちの暮らしはどんどんプライベート化しているようです。テレビはどんどん多チャンネルのサービスを広げ、インターネットだブロードバンドだでオンデマンドで多彩なサービスを提供していくようになる。まるで一歩も外に出なくても快適な生活が待っているかのように、すぐ隣の人と顔を合わせることなく世界中の人とコミュニケーションできるかのように。

 そんな中、集合住宅というのは物理的に住宅を密集させている形態をしているわけで、単なるプライベートな穴蔵のような住まいとは異なる、社会性をもった住まいの形態としての可能性を持っているわけです。外構や中庭は共用、エントランスも共用、廊下やエレベーターも共用、給排水管なども共用しており、実は大勢で本当にさまざまな空間やモノを互いに共有し合いながら生活しているわけです。玄関の扉を一歩出れば、すぐに近所の人と顔を合わせる可能性もきわめて高い。そんな特性を生かした住まい方こそが、集合住宅では考えられるべきなのかもしれません。

 しかし多くのマンションは、とくに最近の大規模な分譲マンションなどは、一戸一戸ほとんど穴蔵を目指して造られているようです。建物はオートロックで、まず外の世界からマンションの内側の世界を遮断してしまいます。そして薄暗く殺風景な廊下を通っていくと、鉄の玄関がさらに住戸一つひとつを孤立させているかのようです。一歩住戸の中に足を踏み入れると、フローリングで床暖房でシステムキッチンで浴室乾燥機でウォークインクローゼットの満たされた世界が広がり、そこは外界からすっかり切り離された世界です。

 そんなことはない、マンションはなるべく外に向かって開放的なつくりを目指しているという言い方もあるかもしれません。大きな窓からは外の世界を見下ろすことができますし、おそらく大きなマンションほど眺望を売りにしています。海が見えるかもしれないし、広い河原の景色かもしれないし、眼下に街を見下ろして遠くの超高層ビルまで見通せるかもしれません。しかしその景色はマンションの皆で見ているはずですが、それは共有されているわけではなく、みんな個別に自分だけの景色だと感じているように思います。パーティールームやゲストラウンジなど共用施設も充実している、とPRしていますが、利用する際は共同ではなくプライベートで使うための空間だったりします。実際には密度高く集まって住んでいながら「集まって暮らす」ことを追求するのではなく、一人ひとりをどう切り離すのか、ということのみに腐心しているようにすら思えてしまいます。

 一戸一戸のプライバシーを高め、その中での快適性を求めること自体に対して意義があるわけではありませんし、家の中でもひそひそ話をしなければ隣に聞こえてしまうような集合住宅で快適な生活が出来るとは思えません。しかし、実際に密度高く集合していながら、集合していることを忘れさせようとするマンションだけでなく、集合していることの価値を高めていこうとするマンションが、もう少し出てきてもいいんじゃないかな、と思ったりしています。  マンションの折り込み広告やパンフレットを見ると、各戸の間取りや自慢の内装・設備、全体の外観などは分かりますが、1フロアに何戸くらいが入っていて、隣との関係はどのようになっているか、共用の廊下や階段がどのようになっているか、という情報はほとんど載っていません。たぶん買う人・借りる人が、その辺りにあまり関心がないということの現れなのでしょうか。周りの人たちを見てみても、このような情報をもとにして、近所で次々と売り出されるマンションをけっこう簡単に買っているような気がします。買い手の意識に訴える情報としては、私たちが考えるよりもデベロッパーはうまくツボを押さえているのかもしれません。

 それにしても、新しいマンションのウリは、どれを見ても何とも似通っています。間取りなどは本当に判を押したようです。そうでない場合には、突然デザイナーズマンションとなって、これがまた付加価値となって値段を押し上げてしまったりしてしまいます。マンションという形は、今や私たちの住まいとして重要な選択肢の一つとなっていますので、もっと身近なところに、いろんな選択肢があってもいいのではないでしょうか。


2003-2004, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.