tachi's COLUMN

戻る

歩くための都市(ウィーンその3)(2005.03.16)

 ウィーンの町を歩き回って一番強く感じたことは、とにかく人が歩くことを前提として都市が作られている、ということかもしれません。これはヨーロッパの古い都市全般に言えることかもしれませんが、人の歩くスケールで町が造られ、人が歩くことを促すような町の資源が豊富にあり、疲れたときにはいつでも休める場所がとにかく豊富であることを感じます。歩くきっかけがあり、歩きながらさまざまな発見があり、より歩きたくなるような町の・使いでがある、ということ。それは、そこに住んでいる人にとっても、一時的な観光客にとっても、生活に豊かさをもたらす重要な資源であるような気がします。そして恐らく、そのようにして歩いている人たちもまた、歩きたくなるような町の雰囲気を高める一つの大きな要素となっています。

コンパクトさと密度感

 ウィーンはもともと城壁に囲まれた都市であったということで、町の旧市街が一周4km程度のRingと呼ばれる環状道路に囲まれています。主な見所や繁華街は、この旧市街に密度高くまとまっており、基本的な町のスケールが人のふつうに歩ける範囲である、ということがまずあります。この旧市街の内部は古い建物で密度高く埋め尽くされており、さまざまなスケールの路地が張り巡らされていて、要所要所には広場があったかと思うとそこに教会や歴史的建造物がこれ見よがしなファサードを見せています。このコンパクトな密度感は、単に目的地までが近くて便利ということだけでなく、歩いている途中にもさまざまな発見をしながら町を体験しているという感覚をもたらしているように思います。

歩く楽しみ

・散策スポットの豊富さ
 とにかく町全体が歴史で囲まれており、歴史の教科書に出てくるような建造物やら記念碑、教会や美術館などが、近距離に密度高く分布しています。初めて訪れた観光客はとりあえず、観光ガイドをみながらこれらの観光ポイントを見て回ることになりますが、その多くは、いちいち電車に乗ったりバスに乗ったりせず、ひょいひょいと歩いて回ることができるわけで、それだけでも大勢の観光客が歩き回る十分な理由になります。そして目当てのスポットだけでなく、歩いている途中でも、こんなところにもこんなものがあるのか、ちょっと裏にはいるとこんな場所があるのか、と発見に事欠きません。うっかり迷ってしまってもそれもまた楽しい、という雰囲気があります。

・ウィンドウショッピング
 ヨーロッパの商店というのは基本的にそうなのかもしれませんが、あらゆる店にはショーウィンドウが設けられており、その店で取り扱っている商品や値段を展示しています。商店街に並ぶいわゆる洋品店や宝飾店だけでなく、街角のお菓子屋でもタバコ屋でも本屋でもスーパーでも、基本的にショーウィンドウがその店の情報を発信する手段となっています。(店に入ってしまうと店の人がふつうに話しかけてくるので、何も買わずに黙って出て行くのはちょっと気まずかったりします。)商店街を歩いてみれば、町をゆく人たちが、ショーウィンドウの前で立ち止まって眺めたりのぞき込んだりしながら、気に入ったものがあるかどうか品定めしている光景に至るところで出会うことができます。ウィンドウショッピングとはこういうことか、と何だか始めて実感したような気がします。言葉の上では理解していても、日本ではあまり見られない光景です。おそらくこれは町を歩くときの一つの大きな楽しみに繋がっているものでしょう。あるいは、こうしたショーウィンドウというものは、町を人が歩くことを前提として成り立つものであり、同時に人が町を歩くことを促す仕掛けとなっています。

・路上イベント
 ウィーン中心部の目抜き通りは車を排除した、歩行者専用の通りになっています。日曜だけ車を排除して人に開放するような姑息なものではなく、幅の広い道の真ん中に数百年前の記念塔が建てられていたりするような、歴史的な通りです。(おそらく馬車等は通っていたと思いますし、今でも観光用の馬車がときおり通っていきます。)ここで、さすが芸術の都というべきか、ストリートミュージシャンというのでしょうか、さまざまな音楽イベントが行われたりしています。これがけっこうレベルが高く、オペラなどへ行かなくてもいろいろと面白く聞くことができました。音楽の楽しみ方の幅が広く、方やきちんとした劇場での音楽鑑賞もあれば、方や歩くついでに楽しめるような敷居の低い接し方まで、連続的に機会が提供されており、そして路上は、たしかにその機会の一つを提供するものとなっている気がします。

休める場所

・至るところカフェ
 ウィーンの町は、まさに至るところカフェがあるといってもよいでしょう。道路の上、路地、中庭、ちょっとした広場、公園の片隅などなど、戸外に椅子をおけばそこがカフェとなるようです。ちゃんとした店構えのあるカフェでも、前面にゆとりがあれば椅子とテーブルを出しています。カフェの多い町というイメージ戦略に載った観光客向けの姿ばかりとは思えません。たしかにウィーンの人たちは好んでカフェで過ごしているような気がします。こうした屋外のカフェは、当然ながら歩いている人を対象としています。車を駐車場に乗り入れて直接アクセスするのではなく、町中をぶらぶら歩きながら、ちょっとのどが渇いたなとか一休みしたいなと思ったときに立ち寄れる、そういう場所なのだろうと思います。また狭い路地に入り込んでしまったとき、奥のカフェに出くわすことで、この道は誰が歩いてもいいんだな、と知らしめてくれるものでもあります。

・売店
 ウィーンの人たちはみなカフェで過ごしているわけではありません。町なかにベンチがあると、座ってパンをかじったりしている人も多く見ることができます。歩いていると、駅やバス停のそばにはよくパン屋があって、いろんなものを挟み込んだサンドイッチが売られています。サンドイッチといっても日本の繊細なものとは違い、固いパンにハムやらトマトやらを豪快に挟んであるものが多く、大きめのもの一つ食べればけっこうお腹がふくれます。あと、アイスクリーム屋も多く、おじさんやおばさんが歩きながらアイスクリームを食べている姿もよく見かけます。路面電車にアイスクリーム持ち込み禁止のマークが掲げられているのに驚きましたが、それは歩きながら食べる人が日本よりも段違いに多いことを示しているのでしょう。町の中心部だけかもしれませんが、こうした売店が多いことは、歩くための町としての価値を支えているような気がしています。

交通網の敷居の低さ

 (その2)で書いたように、ウィーンの市内にはバスや路面電車など、気軽に乗れる交通網が発達しています。切符を目的地まで買うのではなく、1時間、1日、3日など、時間ごとの切符が売られており、その時間内であればいくら乗っても良い、というのが市内の基本的な運賃体系です。従って、この切符さえ持っていれば、いつどこで乗るのも降りるのも自由自在です。これは、町なかを散策しようとするときには非常に便利なもので、疲れたなと思ったときに路面電車がくれば、ひょいと載ってしまえばいいし、外を見ていて気の向いたところで降りてみてもいい。町の人も、犬を連れたまま乗り込んできて次の駅ですぐに降りたりもしています。利用するための敷居の低い交通網が目に見えるところでいつでも機能していることは、いつでも交通機関に頼りきりになるのでなく、歩く人が行動範囲を広げるツールとして、かえって安心して歩き回ることをサポートしてくれているように思います。

公共空間としての都市

 歩くための都市、それは観光地をめぐる観光客に都合がいいだけではなく、仕事場に歩いていったり、犬を連れて散歩したり、近所のカフェに出かけたりする、ウィーンの町の人の生活を深いところで支えているように感じます。おそらくこうした町は、人々の町を歩くというライフスタイルと、人が歩くことを促し歩くことに対して開かれた町の環境とが、相互に絡み合って出来上がっているものだろうと思います。そしてその環境は、結果的に世界中からの人を呼び寄せ、多くの人に開かれたものになっていることで、より魅力を高めているように思います。この町の歴史や文化とは、過去の建物や遺跡が単に豊富に残っていることだけではなく、いまだに住む人のライフスタイルに影響を与え、歩く人に開かれ外の人に開かれた町の環境を創り出すものとなっていることにこそ、大きな意味を見出すことができるのではないでしょうか。

 こうした、人々のライフスタイルを支えながらも、ライフスタイルによって支えられる環境であり、しかもそれが外の人に対して開かれている、という環境の魅力をひとことで言い表す良い言葉はなかなか見つけることができません。ある意味では、公共的な価値の一つの姿と言えるのではないかと思っています。ここでいう公共性とは、単に公共主体が管理しているということではないし、人々に開かれていればよいということでもありません。そこに関わるさまざまな人たちが、互いの価値観の違いを認識しながらも、その環境に関わることである種の共通の価値観をもつことができ、その共通の価値観によって環境が支えられている、そしてそのこと自体が環境の魅力となりえているような場合、そこは紛れもなく公共空間と呼べるのではないかと考えています。


2005, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.