tachi's COLUMN

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自転車屋のない町(2008.01.15)

 ニュータウンには自転車屋が見あたりません。ただし、自転車を売っている店はいくらでもあります。最寄りのスーパーにも自転車コーナーはあるし、近くに続々とできている巨大なホームセンターでも大量に売られており、車で少し行けば、自転車の量販店なんてものもあります。こうしたところでは、かつてよりも格段に安い値段で(それこそ子供の頃には考えられないほどの値段で)、そこそこの自転車を手に入れることができます。一方で、自転車好きの親父が昔からやっていそうな個人商店としての自転車屋は、なかなか見あたらないのです。そんな店はもはや不要となってしまったのでしょうか。

 考えてみると、自転車屋には子供の頃からずっとお世話になっています。小学校のときはもちろん、中学・高校では自宅から駅まで自転車で行っていました。大学院のときには千駄木の下宿から大学まで自転車で通っていましたし、早稲田の人間科学部にいたときは、小手指駅から大学まで、バスで15分の距離を茶畑の中を疾走していました。千葉大に移ったときも、宿舎から大学まで1駅分自転車で通っていました。そして現在も片道40分近くかけて自転車での通勤を心がけています。(もちろん毎日というわけではないですが。)

 毎日自転車に乗っていると、パンクしたりライトの電球が切れたりと、それなりの頻度で自転車にトラブルが発生し、その都度自転車屋にお世話になることになります。たいがい自宅もしくは駅の近くには自転車屋があって、とりあえずそこに駆け込むわけです。さっき道で釘踏んでパンクした!とか、原因がはっきりしていることもありますが、なんかライトがつかなくなったけど、どこか調子が悪くなったのかな?などと原因がよくわからないこともあります。そんなとき、とにかく自転車屋に自転車を持っていけば、たとえ店主が愛想の悪い頑固親父であろうと、教えたがりの蘊蓄親父であろうと、とりあえず安心して見てもらうことができ、たいていの場合はそれほど高い金額を払うことなく、修理してもらうことができます。特別にサイクリストというほどのものではなく、日常的に自転車に乗っている上では、自転車屋がどこにあるかということは、必要不可欠な情報ではないかと思います。

 さて、最近我が家で電動アシスト付きの自転車というのを購入しました。妻が働くようになり、坂の上の職場まで毎日通うのに便利ということで、近くのスーパーで期間限定でちょっと安く売っていたものをすかさず購入したのでした。買って数日乗っていたら、なにかタイヤの空気が甘いらしい。朝ポンプで空気を入れたのに、帰るときにはずいぶん抜けているような気がして、そして翌朝にはタイヤがつぶれていたので、再び空気を入れて乗ってみたら乗れたけど、どうなのだろうと言う。すぐに空気が抜けるわけでもなく、よく分からないのでとりあえず購入したスーパーに見てもらおうと思って聞いたところ、パンク修理の場合、自転車を預かって1週間かかるとのこと。

 たかがパンクで1週間!自転車専門の人が常駐しているわけではないので仕方ないとは言え、パンクなんて自転車屋に持っていけば、その場で30分くらいで直してくれるものではないの?ちょっと離れた自転車量販店まで行くと、パンク修理は2000円で請け負っているようです。明朗会計。でもまだほんとにパンクかどうかもよく分からないんですが。パンクじゃなかった場合でも修理代とられるの?

 ちょっとよく分からないけど、とりあえずちょろっと見てもらいたいと思ったとき(多くの状況ではそうだと思いますが)、量販店の忙しそうな店員に声をかけるよりも、小さな自転車屋のほうが入りやすいんじゃないでしょうか。でも、自転車屋はどこだろう?そういえば近くで自転車屋を見たことがないことに気付くわけです。我が家の近くにある店と言えば、その駅前スーパーのほか、チェーンの量販店とコンビニとファミリーレストランと、、といういう有り様で、そもそも個人商店の連なる商店街とういものが存在しない町なのでした。もともと山を切り開いたニュータウンでは自転車に乗る人が少ないのかもしれませんが、だからといって皆無なわけではなく、自転車に乗っている人もそれなりに見かけます。彼らはパンクしたときにどうしているんでしょう。みんな仕方なくスーパーに1週間預けて直してもらっているんでしょうか。それともパンクくらい自力で修理?

 結局ネットで検索してみたところ、隣の駅のもうちょっと向こうに、個人商店ぽい自転車屋があるらしいことが分かりました。おおよその見当をつけて自転車で向かってみると、しばらくその辺りをうろうろした末に、ちょっと古めの個人商店が数軒並んでいる一角を見つけ、そこに自転車屋を発見しました。ニュータウンも中心部はすでに40年経っており、その初期から営業を続けているのではないかという佇まいの小さな店です。食事の店を探しているときであれば、こういった佇まいの店に踏み込むかどうかちょっと躊躇するところでしょうが、自転車屋の場合は自転車を引きずりながら「すいませーん」と入っていけばよいので、気楽なものです。狭い店内に自転車を乗り入れると、おじさんがおもむろにタイヤからチューブを外し、水につけてパンクかどうか調べ始めました。これでもう何とかしてもらえるだろうという安心感を得ていることに気がつきます。そして20分ほどのうちに目の前で修理が完了し、「できたよ。1000円。」期待通りの成果。

 このように、馴染みでもなんでもなくても気楽に訪れることができ、そして1対1で個別に、かつ必要十分のサービス(あるいは自転車を介したコミュニケーション)を得ることができる場所は、考えてみるとそんなに多くない気がします。個人商店が町からどんどん減っていき、目に見える店主と直接関わる機会はどんどん少なくなっています。ニュータウンというところは、そもそもそんな機会が極めて少なかったりしする場所で、ニュータウンの子供は塀と八百屋の存在を知らない、という話もあるくらい。スーパーで何でも買えるいま、個人商店の八百屋や魚屋はかえって敷居が高い気がすることもありますが、そんな私にも、町の自転車屋は開かれている感じがしました。地に足をつけた主がいて、しかも誰にでも開かれ、出会うことのできる場。

 ふと自転車屋を探すことで、あらためて自分が郊外のニュータウンにいることを実感した次第です。こうした些細な出会いが限定された環境として。それにしても近所で自転車に乗っている人は、ほんとに不便じゃないのかな?


2008, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.