tachi's COLUMN

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環境づくりと居場所づくり(2011.02.27)

 先日、福祉施設小委員会主催の公開研究会に参加してきました。研究会のテーマは、「福祉と建築のコラボレーション」。3題のうち2題は施設の「環境づくり」。PEAPという手法を用いて、施設職員を教育しながら施設環境を自分たちの手で作り替えていき、施設を生活空間に変貌させていこうとする試みです。施設改修という大きな話の前に、いろんな物を持ち込んだり、レイアウトを変更したり、飾り付けをしてみたり、できるところから始めていくだけでも、環境の変化が高齢者の生活や意識に変化をもたらしていくようです。もう1題は、広島県の鞆の浦という漁村での高齢者の生活サポートについて。鞆の浦は高齢化率40%の集落ですが、その高齢者達の日常生活を支えているのは、介護保険などの公的な制度というよりも、コンパクトな町での生活の完結性と集落の濃密な人間関係、そしてあちこちの自然発生的な高齢者の寄り合いなどのインフォーマルな支え合いにある、というものです。今後の高齢化のさらなる進行を考えると、老人ホームなどの特殊建築物を充実させるよりも、町じゅうで支えていくような仕組みが必要ではないか、という内容でした。

 感想の一つめ。地域で高齢者の生活を支えている事例はおもしろかったのですが、このような濃密な地域の人間関係はどこでも真似のできるものではありません。ただ、町の中にさまざまな居場所をつくることの価値については、いろんな地域で参考にしうると思います。いきなり都市計画レベルでの地域作りや公的システムの話になると、どうしても個人の生活レベルの話が抜け落ちてしまいやすい。施設全体の平面計画を考えるような「施設づくり」の手前に、誰でも手をつけられる「環境づくり」を位置づけたように、「地域づくり」の手前に「居場所づくり」を位置づけていくことで、個人の生活と地域の質を結びつけていくことが可能なのではないか、という気がしました。全体をフォーマルなシステムで覆い尽くすことを考えるだけでなく、一人ひとりの関わりやすいさまざまな居場所は、インフォーマルにサポートを補完していく重要なキーとなりうるかもしれません。

 もう一つの感想は、「環境づくり」にしても「居場所づくり」にしても、機能的な空間作りから脱却するヒントが込められていそうだ、と思ったことです。人の行動を機能的に分解して、それぞれに空間を割り当てていき、その空間を廊下や道路や交通網でつないでいく、という考え方から作られた空間が、実は多くの人の生活の質を支える上では、それほど優れているわけではないんじゃないか。もっと曖昧に作られた空間の中で、さまざまな場所に働きかけをしたり意味を見いだしたりしながら、人は落ち着いて過ごせたり、関わりを深めたり、他の人を支えたり支えられたりしながら生活しやすいのではないか。

 施設の「環境づくり」とは、ストレッチャーが行き交えるの広い廊下空間や大量の車イスでアクセス可能な広大な食事空間を、何となく立ち寄れて何となく居られる場に変えていこうとするものと言えます。機能的につくられた広々とした施設空間は、どんなにキレイにデザインされていたとしても、入居者にとってはあまり関わることのない広大な空白の空間が広がっている。家庭的なしつらえが高齢者にとって馴染み深いというだけでなく、環境適応能力の低下した高齢者であっても、一人ひとりが空間に自分なりの意味を見いだし、自分なりの関わりを作りだしやすくし、自分なりの生活の展開を可能にするのではないかと考えられます。

 鞆の浦のような集落空間は、近代的な都市計画で作られているわけではなく、純粋に交通のための空間や、純粋に消費のための空間というものは、そもそも存在していません。路地から街角から商店から住宅から、あらゆる場所にいろんな意味が込められ、住人自らいろんな居場所を見いだしている地域です。どんな空間にも、多様な意味、多様な機能が複層化され、住人にとって濃淡はあっても空白のない地域であることが、そこに暮らす高齢者の生活を幅広く支え得るのではないかと感じました。

 発表の最後に、高齢者を施設で面倒みるのではなく、町そのもので面倒みようという「町じゅう老人ホーム」構想が提案されていましたが、それはどうやら必要な機能を空間に割り振るような都市計画的まちづくりではうまく実現できないような気がします。お上主導で「町じゅう老人ホーム」を実施しようとしても、単に町の中に施設や拠点が作られるだけで(それはそれで意味があると思いますが)、結局は施設や福祉制度で高齢者を支える図式はあまり変わらないだろう、と。

 近代的な公的システムは結局、人は私利私欲で動くことを前提として、その欲望を活用したり規制したりするように整えられます。町全体で高齢者を支えるということは、町の住人の多くが私利私欲で動くのではなく、本来自分の仕事ではないことに対しても目を配りつつ「こんなときはお互いさま」とか「じゃ私がちょっとついでにやっときます」とか「まあまあ水くさい」とか言いながら、当事者として気軽に引き受けるようなメンタリティを身につけていることで成り立つように思います。それはかつてのムラ社会的な古くさいメンタリティというよりも、成熟した市民としての公共的な意識と言えるでしょう。

 公共的な意識は、「公共的に振る舞いなさい」というようにお上からの教育によって身につけられるものではなく、ふだんの生活のなかで身を置くさまざまな場所から、そしてそこで出会う多様な人々の振る舞いから学んでいくものだと思います。こうして考えると、町の中にさまざまな関わり方のできる多様な居場所があり、生活のにじみ出る路地があり、人々の集まる広場や原っぱがあり、個人商店の連なる商店街があり、共有意識を支える町のシンボルがあり、という町であればこそ、多様な高齢者の生活を支えうる力をもっているように思えてきます。それはただ曖昧に、自然発生的に作られた町だから、というだけではなく、それぞれの場所が一人ひとりの関わりによって支えられている公共的な性格を帯びており、町全体が公共的な意識で支えられているからこそ、互いに助け合いながら多くの高齢者が暮らしていくことが可能になるのではないか、と思うからです。

 それでは、新しくつくられた町では高齢者の生活を支えることは無理なのでしょうか。そこで「居場所づくり」が重要な役割を果たすのではないか、ということになります。身の回りで少しずつできるところから「居場所」を見出し、維持し、つくりだしていく。そうした地道な取り組みが、少しずつ町を変えていくような気がしています。それはおそらく、要介護の高齢者を支えるという限定されたテーマではなく、その町に住む、あるいはその町を訪れるすべての人の生活の質に関わる大きなテーマにつながっているようにも思います。


2011, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.