tachi's COLUMN

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地域に向かう福祉施設(2019.12.21)

2019年11月20日に、福祉施設小委員会主催の公開研究会「地域に向かう福祉施設」が行われました。かなり参加者も多く、多岐な話題にあふれた充実した研究会となりました。当日の内容をとりあえず記録として残しておこうと思います。

主旨説明 宮城学院女子大・厳先生

福祉施設の考え方は90年代に、収容の場から暮らしの場へ、集団介護から個別処遇へと、大きく変化し、施設の形もその変化を反映して、「ホスピタルモデル」から「住まいモデル」へ、具体的には段階的空間構成、個室化、ユニット化が進められた。しかし当時から高齢化も進行し、2020年には高齢化率が3割近くに達する状況であり、「施設内」だけでの対応は限界となり、地域居住や地域包括ケアなど、地域自体を施設として考えていく必要がある。

施設名にも、施設の考え方の変遷が反映されている。90年代以前:○○荘、○○苑→90年代以降:○○の家、○○村と、「住まい」化の流れが見られる。近年は、アンダンチ、銀木犀、恋する豚研究所など、施設らしさを感じさせない、空間デザインにも工夫を凝らしたお洒落なカフェのような、地域に溶け込む名取り組みが見られるようになってきた。

日本では福祉というと未だに「施し」「救済」のイメージが抜けないが、フィンランドでは、すべての人の生活が良い状態にあること(Well-being)、そのための社会保障という意味が強い。Well-beingのためには、地域社会における共存共生、地域で支え合う仕組みが不可欠。地域に向かう福祉施設の流れと今後の可能性について議論したい。

第一部 福祉施設計画のあゆみ (1)「高齢者施設の流れ」近畿大・山口先生

1963年に老人福祉法制定され、特別養護老人ホームが誕生。救貧施設の意味が強く、経済性・効率性を重視した一文字型廊下のプランが典型的。1980年代には認知症への対応から回廊型の施設配置が推奨された。1990年代に、生活者の視点からの計画が重視され、プライベート〜パブリックの段階的空間構成が誕生。同時期にグループホームが導入され始め、小規模・少人数単位の有効性が喧伝され、両者の特徴を合わせた個室ユニットケアという形が2000年以降に制度化される。しかし制度化は同時に、定型化・低水準化をもたらすことにもなった。

2000年代後半からの流れは、施設の平面計画の変化よりも、諸室計画の充実、空間デザインの進化、配置計画の工夫、の3つにシフトしている。諸室計画としては、浴室や職員の労働環境の改善。空間デザインとしては、さまざまな素材を使用して、イケてるデザイン、ほっこりするデザインなど。配置計画としては、分節化・分棟化などによる施設らしさの軽減、などが挙げられる。近年では、商業施設やサービス機能など、地域の多様な要素を複合したものが表れ、それらを融合するプログラムが重要となりつつある。

(2)「児童養護施設の流れ」金城大・加藤先生

社会的養護とは、保護が必要な児童を社会的に養護することで、対象児童約45000人。施設養護と家庭養護がある。最も多い児童養護施設の変化を追う。

全体的な流れは、居室面積の拡大、居室定員の縮小、小規模化、施設養護から家庭養護へ。生活ユニットに注目すると、かつては大舎型大ユニットと小舎が多少ユニットに二極分化していた。80年代から中舎型でユニット小規模化が進み、近年は大舎型で小規模ユニットへと移行している。各ユニットはかつては独立したタイプが多かったが、2ユニットを職員空間でつなぐ2戸1型が増えている。

2000年以降は地域との関係が考慮され、地域の人が利用したり相談できる地域開放スペースや、児童が地域に出る準備のための空間が整備されている。地域分散の流れを受けて、民家改修型の小規模な施設/住宅も出てきている。子供の専門的ケアや安定した生活の観点から、地域開放は限定的なのが実情。地域に分散する住宅・施設のネットワークが課題となる。

(3)「保育施設の流れ」福井工大・藤田先生

近年の制度の流れとしては、幼稚園の保育所化、保育園の幼稚園化が進み、平成18年認定こども園が誕生する。施設数は、保育園は微増傾向なのに対し幼稚園は減少気味で、幼稚園のこども園への移行が進んでいる。

保育所の場合は、高齢者や児童養護のような空間構成上の変化は捉えにくい。いくつかのタイプに類別すると、最も主流なのは、保育室を廊下で繋いだオーソドックスな室配置のものと、部屋を明確に区切らない大きな一室空間のタイプ。集団としての居場所をしっかりと分けたり、個人の居場所を作り込むタイプも近年見られる。カフェなどを複合して地域に開くタイプもあるが、数は多くない。近年の制度の変化に伴い、認定こども園制度から生まれた幼保を合体したタイプ、低年齢児の待機児童対策として分園化したもの、また園庭要件が緩和された都心部の特性から生まれたもの、などが現れている。

地域化の進む他施設と比べ、保育施設は現在、迷惑施設扱いを受けるなど、むしろ地域から隔離される傾向もある。

第二部 福祉の今とこれから (1)堀田聰子氏(慶應義塾大学、認知症未来共創ハブ)

認知症になって介護が必要になっても、社会で働きたい、社会の役に立ちたい人が増えている。企業や農村などにかけ合い、認知症の人の働く場を見つけ、介護保険事業(地域密着型生活介護)として実現している事業がある。認知症の人が働けないサービス事業者の意識を変えるためのプログラムを行った。

認知症未来共創ハブでは、認知症の人とともに生きる社会を目指して活動している。1)当事者の語りを通して多様な生活モデルを探索すること、2)さまざまな生活課題を解決するための事業・サービスを構築すること、3)認知症とともにより良く生きる未来のための政策を提言すること、が目的。「できないと決めつけてできることを奪わないでほしい。周囲の手を借りながらでも自分で課題を乗り越え、自分でやり続けていきたい」という当事者の言葉が活動の根底にある。本人の話を聞き、体系化し、それを形式知に高めていく。それが商品やサービスの提供につながる仕組みまで考えていく。認知症になっても安心して暮らせる地域は、誰もが今ここにこうしていられる社会。認知症の人の直面する困りごとは、社会が追いついていないことから来る。まずは認知症の人との共通言語を作りたい。当事者の思いや体験、実際の困りごとやそれを乗り越える知恵や工夫、などを聞くこと、そしてそれを社会に還元できるようなデザインが必要。

当事者参加型パネルでは、認知症の方の生活の喜びや困りごと、その背景は何か、それをどう乗り越えたかという工夫を聞く。当事者同士で語り合い、多くの人が聞いてくれることで、認知症の人の不安が軽減される。衣食住など11の領域に分けて180ほどのキーワードを抽出している。その背景にある心身機能のトラブルも64に分類した。これらの知見をナレッジライブラリとして、他の認知症の人も読めるように整理している。認知症の人でも喜びを満喫できる住まいを考えるワークショップでは、住まいの困りごとと、それを解決する工夫を持ち寄り、共有するためのカードを作り、それをもとにチームで解決方法の提案を行った。これは認知症だけでなく、高齢者や障害者にも適用できる部分もある。

認知症本人ワーキンググループで「認知症とともに生きる希望宣言」をまとめた。
1. 自分自身がとらわれている常識の殻を破り、前を向いて生きていきます。
2. 自分の力を活かして、大切にしたい暮らしを続け、社会の一員として、楽しみながらチャレンジしていきます。
3. 私たち本人同士が、出会い、つながり、生きる力をわき立たせ、元気に暮らしていきます。
4. 自分の思いや希望を伝えながら、味方になってくれる人たちを、身近なまちで見つけ、一緒に歩んでいきます。
5. 認知症とともに生きている体験や工夫を活かし、暮らしやすいわがまちを、一緒につくっていきます。

「健康」概念は、身体機能のレベルだけでとらえるのではなく、ポジティブヘルスの新しい概念がある。「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに適応し、みずから管理する能力としての健康」(M. Huber)。困りごとがあったときに、それを克服すべくチャレンジしている状態が健康。それを後押しする社会的な出会いがあることが重要。

(2)飯田大輔氏(社会福祉法人 福祉楽団)

福祉楽団では、千葉や埼玉中心に、高齢者の特養や訪問介護、障害者の就労支援など行っている。現在少年院の入所者の4割は知的障害、発達障害まで含めると6割に及ぶと言われる。こうしたケースは、少年院や刑務所に入れても解決しないし、経費もかかる。就労支援も兼ねて、里山の手入れや薪づくりの仕事にも取り組んでいる。施設は新建築などで取り上げられているので、そちらを参照されたい。施設をつくるときに、かなり建築計画の論文も読んだが、結局統計でものを言っている。人間とは何か、介護とは何か、という基本に立ち返り、人体の構造と機能をエビデンスベースにする計画論が必要。

「介護」という概念は日本だけの概念で、日本の社会的背景から生まれたもの。英語のNursingは、看護から保育まで含む概念。ナイチンゲールがその原点。「病気」の捉え方は、医学的には「診断+治療」の対象であり、病変を見つけて取り除く。Nursingの考え方では、「病気」とは回復過程であり、そのプロセスが症状として現れた状態。そのプロセスを高めるためには、循環、呼吸、体温が大事であり、その中でも新鮮な空気が何より大事。患者の生命力の消耗を最小に抑え、回復過程がうまく働く状態に置くことがNursingである。それには身体のメカニズムを知って、最善の判断を行うこと。「その人らしさ」など情緒的な言葉で語るのではなく、生物としての人間の生理学に基づいて判断する。

建築的には、新鮮な空気と暖房の工夫が大事。窓を開けて自然換気できるように。ドアは閉めるためにあり、窓は開けるためにある。逆の施設が多い。あと、自然光が浴びられること、排水や汚物処理の位置・動線は基本。

生理学を根拠とする1対1のケアをベースとしつつ、「施設」を越えて地域まるごとケアへ。QOLは個人への最適化という考え方だが、地域単位での最適化という発想へ、コミュニティのクオリティQOCが求められるようになる。

金野千恵氏(teco)

ネパールのパクタブルの市内で、東屋のような縁側のような建物に、いろんな人が自由にたむろしている様子がよく見られる。学生時代、このような街に開かれた空間を研究。そのときの知見を生かして設計している。

地域ケアよしかわ(2014)は、団地の1階部分を改修して、訪問介護事業所を設計した。単なる事務所ではなく、地域に開く場所にすべく、開口部分にベンチを設け、人がぱらぱら居る様子が見えるようにし、中にも人が集まれる空間とした。だんだんと子供が集まりだし、子供食堂的な取り組みが始められた。

ミノワ座ガーデン(2016)は、特養の前庭改修プロジェクト。地域の祭を企画するなど、地域の認知度の高い特養だが、敷地が長い塀で街から仕切られていた。とりあえず塀を撤去して前庭を開放し、誰でも入って座れるような庭の設計を行う。ちょうど着工のタイミングで相模原の障害者殺傷事件が起き、地域に開放することに議論が起きたが、最終的には施設側の意向で着工した。感性すると、自然と近所の人の溜まり場や保育園の散歩ルートになったり、新しい街の風景になってきた。室内の4人部屋の改修も手がけている。

春日台センター×センター(2016)は、新たな地域施設の計画。地域の中心にあったスーパーが閉店したことをきっかけに、地域の人がどう思っているのかを知ろうと、ワークショップ「あいラボ」を開催。回を重ねるにつれだんだん人が集まり、スーパーを復活させたいという意見が集まる。広場で多世代交流フェスも開催し、多くの人が集まった。結局スーパーは解体されたが、借地権を取得し、グループホームとして設計することになった。皆の意見を集めて、小規模多機能、就労支援、放課後デイ、フリースペースなど満載の複合施設。複合することで、どの時間でも誰かの居場所になることを目指す。

感想

1990年代以降、施設の住まい化が大きなテーマで、居住環境を小規模化させ、病院も出るから生活モデルへの転換があった。現在はそれが制度化されて何となく一段落し、テーマは地域化に移行する。地域化の議論としては、権限を国から自治体そして地域へと小さな単位に移行するという側面と、施設を地域に対して開いていく側面がある。

前者は、権限主体を小さくすることで、自由度を高め、一律の制度に合わせるのではなく、それぞれの地域の実情に柔軟に合わせることが可能になることが目論まれていると思う。しかし地域任せにして国は責任を地域に押しつけるだけ、そして地域の側にも理念がないと、結局かえって形骸化が進んでしまったり、安易に民間に投げるということにもなりかねない。自治体のレベルでも、現場のレベルでも、理念や理想が蓄積され共有されることがないと、かえって閉塞感・閉鎖感を高める可能性もあるのではないか。

後者は、第一部の発表にあったように、施設種別によってかなり状況が異なるようだ。高齢者施設では、施設を地域に馴染ませることは大きなキーワードになっている(実態としては疑問もあるが)。児童養護は、外に開くことに対してかなりセンシティブな面がある。保育施設は、開放性を高めることに対する抑制と、地域側からも敬遠されつつあり、地域化とは逆行する動きもある。いずれにせよ、福祉の地域化と言われる割に、地域側が福祉施設を受け入れようとする意識は育っていないと言える。

第2部の福田氏、飯田氏の講演は、地域化を進める上で、現場で共有されるべき理念を考える上で、非常に示唆的な内容であったように思う。理念とは、そもそも何のために、何を目指して小規模化・地域化を進めているのか、という背景の考え方。その理念が抽象的・情緒的に語られてしまうと、表面的な理解によって形骸化しやすいように思う。近年の高齢者施設では、その理念が抜け落ち、制度に合わせただけの形骸化した個室ユニットがむしろ増えているのが実情でもある。

ケアを感情的・情緒的に語るべきではない、共通の科学的知見をベースに置くべきだ、という飯田氏のコメントは、その意味で印象的である。施設環境においては、飯田氏の強調していた生理学的なベースに加え、生活学とでも呼ぶものをベースにしたい。人による個別性もあるが、誰にでも保証されるべき生活行為、生活場面をきちんと明示できないか。それを保証するために必要な施設環境要素(空間、設備、プランニング等々)がまずしっかりとあり、その上で、地域ごとに、あるいは施設ごとに、個別性が発揮されるようなイメージが思い浮かぶ。

福田氏の取り組みは、認知症の人に対する共通理解を進め、その上で多様な状況に対して具体的な解決方法を共有できるようにしようとする。情緒的な言葉で語るのではなく、また介護者の献身や犠牲に頼るのではなく、認知症の人に求められる環境要素や解決策を客観的に記述する。そこには、実際の生活(人と環境との相互の関わりの整合/不整合)の記述を積み重ねていったことで得られる客観性がある。そしてその蓄積は、認知症があってもその人の自律した生活を可能にするための、空間的・環境的基盤として活用され得るだろう。このような共通のベースが作られることは、地域化を進める上でも大きな役割を果たすように思われた。

最後の金野氏の実践的な取り組みは、何だかんだ言いつつも、やはり地域の中に希望があることを感じさせた。地域の中に自ら飛び込み、地域に対して施設を開いていく。地域の中にこそ実体としての生活があり、さまざまな資源があり、多くの人の知恵がある。地域に開くことは、既存の制度に合わせる態度ではなく、地域に学ぶことであり、人々の日常生活に学ぶことに他ならない。そのプロセスには多くの対話が不可欠である。その対話の中で、実は地域にも多くの資源があることに互いに気づき、そうした資源を活用することで、施設も豊かになり、まちも豊かになっていく。「地域に開く」ことは、「地域を拓く」こととセットになって、その大きな意味と役割が現れる。そんなことを再認識する機会となった。


2019, Space Design Laboratory, JISSEN Univ.