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第16回 学祖・下田歌子展 皇室と下田歌子

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学祖・下田歌子は、安政元年(1854)、美濃国恵那郡岩村藩(現在の岐阜県恵那市岩村町)の藩士であった平尾鍒蔵と妻・ふさの長女として生まれました。幼名を鉐(せき)といいます。幕末の動乱期、父・鍒蔵は安政5年(1858)と慶応4年(1868)の2度にわたって藩から謹慎を申し付けられており、厳しい生活のなかで育ちましたが、幼少期から和歌や俳句、漢詩などに秀で、優れた才能に恵まれていました。
 明治4年(1871)、明治政府より神祇官宣教使史生を命じられ上京していた父のあとを追って、下田歌子も上京します。和歌の師であった八田知紀や高﨑正風らの推挙によって、明治5年(1872)に宮中に出仕すると、和歌の才を愛でられて皇后(後の昭憲皇太后)より「歌子」の名を賜り、以後、終生「歌子」と名乗ります。また、明治政府の顕官や権命婦であった税所敦子、大正天皇のご生母である柳原愛子らとも親しく付き合い、宮中を辞した後も交流は続きました。
 明治26年(1893)、明治天皇の第六皇女・常宮昌子内親王(後の竹田宮妃)、第七皇女・周宮房子内親王(後の北白川宮妃)の御教育掛の内命を受けると、明治26年9月から明治28年8月までの2年間、欧米に女子教育視察に赴きます。その後、明治29年(1896)に正式に御教育掛を拝命した下田歌子は、高輪御殿にて皇女教育を行いました。両内親王はご結婚された後も、生涯、下田歌子を師と慕い、その交流は絶えることがありませんでした。
 本展では、皇室と下田歌子と題して、皇室や宮中の人々と下田歌子との交流に焦点をあて、書簡や宮中から御下賜されたゆかりの品々を中心にご紹介いたします。



会期:2016年4月4日(月)~6月3日(金)
休館日:土・日曜日、5/3~5/5休館
開館時間:11:00~17:00
入館料:無料
会場:実践女子大学香雪記念資料館 企画展示室1・2
主催:実践女子大学香雪記念資料館

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