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帝国婦人協会機関誌『日本婦人』総目次の検索について

『日本婦人』の総目次の完成

 この度、実践女子学園の前身である帝国婦人協会の機関誌『日本婦人』の総目次を完成し、下田歌子データベースにおいて検索可能とした。

  下田歌子データベース

 実践女子学園は太平洋戦争で建物が焼失し、多くの資料を失った。大学図書館では、下田歌子関係資料収集の一端として「日本婦人」の探索及びマイクロフィルム等による収集を行ってきた。この雑誌は他機関においても欠号があり、全体の様相を把握することが困難であったが、全冊の総目次を作成し、下田歌子データベースにおいて検索可能とするに至った。
 
 大学図書館は、この検索システムが、近代日本女性史や女子教育史の研究等に資することを願うものである。

 2023年8月28日

 ※ 当ページは、2023年9月7日に、研究者の方の意見を参考に全面改訂しました。

『日本婦人』とは?

 下田歌子は欧米の女子教育を視察する中で、日本における中流以下の女子教育の必要を痛感した。帰国後に帝国婦人協会を組織し、教育事業として明治32年5月に実践女学校と女子工芸学校を設立し校長に就任した。女子教育の普及と啓蒙のために積極的に講演活動をするほか、帝国婦人協会の機関誌として同年12月に「日本婦人」を創刊した。明治期を代表する女性誌として世に知られるものとなり、第12年9号(明治43年9月)の終刊に至るまで全130冊を刊行した。
 創刊号の「帝国婦人協会々上に於いて」で、下田歌子は「婦人は、人間平和の天使なり」と述べ、女性たちの一致団結を求めた。協会の教育事業では、貧しく働く女性たちの教育もするとし、「日本婦人」の誌上ではそれぞれの立場の女性たちの参考になるものを掲載するとした。

 1901年9月刊の『児童研究』(4巻5号)に、『日本婦人』の広告が掲載されている。

 「日本婦人」は、創刊以来常に世の風潮に先んじ、 自ら期して巾幗社会の指導を以て任せり其記事体裁の高尚優雅にして、俗流に超越せるは既に世の定評ある所なり。思ふに搖藍を搖かすの手は、以て能く天下を搖かすに足る、社会風潮の清濁は、其源男子にあらすして女子に在り。一家を釐正し一国の風教と善美ならしむるも実に女子の勢化によらさるを得んや。
 (注 1901年9月刊の『児童研究』1901年9月号(4巻5号)日本児童学会 p. 60.)

 「搖藍を搖かすの手は、以て能く天下を搖かすに足る、社会風潮の清濁は、其源男子にあらすして女子に在り。」という力強い表現は、女性だからこそできる社会の変革があると述べたものである。

画像イメージ『日本婦人』創刊号(1899年12月) 写真提供:大井三代子氏

『日本婦人』の出版状況と本学所蔵状況

 総目次の作成者は、2022年度をもって本学園を退職された奥島尚樹氏である。奥島氏のメモを参考に、出版状況と学園での所蔵状況を表を作成した。一部、「#確認」となっているが、何らかの形で所蔵はしている。
 下記リストを見ていただくと、本誌は、1906年(明治39年)10月に、「刷新」を理由に通号表示から巻号(年号)表示に突然変更を行った。また、結果的に最終号となった1910年9月号に「終刊」という文字はない。

 なお「日本婦人」の閲覧については大学図書館にご相談いただきたい。

画像イメージ

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