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第21回 学祖・下田歌子展 —華族女学校創設と欧米教育視察—

画像イメージ詳細チラシPDFファイル(PDF 3.58MB)

画像イメージ展覧会パンフレットPDFファイル(PDF 3.73MB)

画像イメージ出品目録PDFファイル(PDF 293KB)

 学園の創立者である下田歌子(1854-1936、本名:平尾鉐)は、下田猛雄との結婚後、明治15年(1882)に麹町区壱番町(現、千代田区九段南2丁目)にて、私立女学校「桃夭学校」を開校しました。当時、明治という新しい時代にふさわしい女子教育への要望が高まり、その指導役としての女性教師が求められていました。宮中を辞して家庭に入り、病夫を抱えて生活を支える立場に置かれていた下田歌子は、その才能を見込んだ伊藤博文や土方久元らに勧められ、女子教育の道を歩みはじめます。

 明治18年(1885)には華族の女子のための教育機関である華族女学校が開校し、その創設に携わっていた歌子は幹事兼教授に就任。翌年には学監となり、明治39年(1906)に華族女学校が学習院に合併されるまで、その運営と教育に力を注ぎました。歌子は自ら教科書を編纂したり、また生徒の服装にも意を用いて新しく女袴を考案したりするなど、多方面にその才を発揮しました。

 明治26年(1893)、明治天皇の第六皇女である常宮昌子内親王と、第七皇女である周宮房子内親王の御用掛の内定を受けた歌子は、その任に当たるために欧米諸国の女子教育を視察すべく留学します。歌子は2年間にわたり、各国の女子教育について見聞を広め、イギリスではバッキンガム宮殿にてヴィクトリア女王への謁見も果たしました。この欧米女子教育視察をとおして、歌子は華族など上流階級の女子だけでなく、一般女子への教育の必要性を感じ、その後の実践女学校創立へとつながっていきました。

 本展では女子教育の道へと進んだ下田歌子が、華族女学校で教壇に立ち、欧米教育視察をとおして自らの教育理念の基礎を築くまでの時期に焦点をあて、その活動の軌跡を紹介します。


会   期 :2022年4月8日(金)~5月13日(金)
開館時間:10:30~17:00
休 館 日 :土・日曜日、5月3日(火・祝)~6日(金)
入 館 料 :無料
会   場 :実践女子大学香雪記念資料館 企画展示室1・2
主   催 :実践女子大学香雪記念資料館
後   援 :渋谷区教育委員会


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