入エジプト記

 
入エジプト記

だいたいにおいて、動機が不純であった。私はギリシャに行きたかったので、エジプト・アレキサンドリアで開催される国際学会(IAPS)に申し込んだのだった。エジプトとギリシャは近いのだから、学会のついでにキクラデスの島々に寄ってこられるだろうと、そんな魂胆だったのだ。

 しかし、そんな妄想は打ち砕かれる。直前には建築学会、直後には授業再開ということで、学会三昧の日々となるのである。

 私は、エジプトが不安だった。アラビア語はまったくわからないし、読めない。お茶でも飲みながら交渉しないと、まともな値段で商品を購入できない。押し売りの親切で金を巻き上げようという輩がいる。そんな情報を耳にするからだ。

 珍しく「地球の歩き方」を出発前に読んだのもそのためだ。と言っても、昔のように全部読破したのではない。拾い読み。これもなんだか不安。だいだい、 H.I.S.のアフリカ担当の女性が、「この空港、聞いたことはないのだけれど、Alexandriaと書いてあるので、大丈夫だと思うんですけどね。」と、そういう調子なのだ。

 はー。先が思いやられる。

9/10(Sun)

 自宅を出発。5歳の息子が、盛んに「お父さん、ずるい。エジプトに行きたい。」という。いよいよ出発となったら、泣き出した。これには困った。泣かれるうちが華だが、シナイ半島で去年テロがあったとか、ルクソールでは日本人が射殺されたことがあるだとか、脅かしすぎたか。長女は、「4人を養わなきゃいけないんだから、ちゃんと帰ってきてね。」と言い、次女は「いってらっしゃい。」のみであり、三女はお昼寝中であった。妻は、結構、堂々としていた。うーん、現在をうまく表現しているような気がする。

9/11(Mon)

 経由地ドバイからBorg el Arabなる空港へ。砂漠だ。かすかに緑は見えるが、空軍基地だったらしいこの空港は(空港でビザが取れるか不安だったので、ネットで調べたのだが、その中に、そんな記述があった)、周りに何もない。「ここに居れば死ぬんだなあ」ということを、しばらくぶりに感じた。

 公共の交通機関はないとネットに書いてあったので、タクシーで市内へ。市街地まで40kmほど。初めは、やはりほとんど木が生えていない場所を通っていった。しばらくすると、レンガ造りのアパートが見えだした。しかし印象は同じだ。ここに立っていたら死んでしまう。公共交通機関が発達していないからなのか、日差しの中、手を横に差し出し、車を止めようとしている人をちらほらと見かける。いつかは止まってくれるのだろうか。日射病が心配になる。

 途中、石油関係のプラントかと思われるような場所を通過した。ぷーんと漂う悪臭と煙。しかし、そういった場所で生きている人がいると思うと、生命力が感じられてくるから不思議だ。生きる力が必要となる場所。

 それでも、緑を見かけるようになると、じーんとした。さらに、海が見えてくると安心した。なだいなだ氏のエッセーに、スエズのあたりを走ったとき、緑飢餓を起こした話しが出てくる。砂漠を通過した後で緑を見たら涙が湧いてきたというのだ。ほんの20分ほどの間に、私も緑飢餓状態に近づいていたらしい。

 今回のIAPSのテーマは、「Environment, Health and Sustainable Development」なのであるが、自然と人間の遺伝子レベルでの係わり合いを感じる出来事であった。

9/12(Tue)

 昨日は、あまりにも弱気だった。夕飯も食べに行く気がせず、寝てしまったので、夜中に腹が減った。今回はお菓子などを少々持ってきていたので、それでしのいだ。水を買うのさえ店員と話しをする気になれなかったのだから重傷だ。1.5£E(=30円)くらいのものだから、値段交渉に失敗しても10円ほどの話しなのに、先客が一人いただけで、なんとなく億劫だった。(実際には、水を買うのに交渉など必要ない。こういった生活用品は言い値販売のようだ。)

 夜中に目覚めても無理矢理寝たので、今日はだいぶ違う。やはり、体の疲れは精神にひびくのだろう。

 飛行機の中でも、飛行場でも、ホテルでも、村松さんから渡された翻訳チェックのファイルを開いて仕事に励んだ?けれど、やる気がとぎれるのが早く、あまり進まない。

 特別、観光したいスポットもないし、お昼のレストランを探すのも面倒なので、学会場へ行った(国際学会はお昼が出るのです)。今日は学生向けのセッションがメインだからあまり人がいないのではないかと思っていたが、そうでもない。大盛況。午後からのSustainabilityについてのシンポを聞いてみたが、あまりにも部屋が寒く、断念。ホテルの温度設定が19度になっていたのもびっくりしたが、ここも、もう少し地球環境に優しい温度設定にしてくれた方がいい。こちらも風邪を引かずに済む。寒いほどの空調が歓迎の意を表しているのかもしれないけれど。

 帰り道、ビルの谷間にゴミが散乱している場所があった。昨日のタクシーの運チャンも、運転しながら平気で水を飲んだり、サンドイッチを頬張ったりするのだが、その包装はみんな窓からポイッだった。こういう人達にsustainabilityとかglobal environmentを考えた生活行動をしてもらうということは、なかなか難しそうである。

 経済という強力な指標に抵抗するものとして、私は文化を挙げることが多いのだが、環境問題という、現在はまだまだ弱いけれどもこれから地球の首を絞めかねないほど強力になっていく事柄に対して、文化は足を引っ張る要因になりうる。

 Educationについてのセッションもあったが、教育だけでなく、総合的な対処法を考える必要があるだろう。

9/13 (Wed)

 そんなに選んで聞いたわけではないのだが、landscapeか何かのセッションでの司会者のコメントが面白かった。中国やら、ブラジルやら、トルコやら、いろいろなところからやってきて、都市とか街並みとかの問題を述べる。文化の話しも、当然たくさん出てくる。

 「O.K. じゃあ、その中のどこが問題なんだ。それを明らかにすることが必要だろう!?」と、まあ、そういうコメントだ。

  Researchしているというより、プラニングなどをしながら感じていることをしゃべっているReportという感じの発表が多かったから、そういう意見も出るだろう。学会とは言っても、概念的な話も多いし、思いを画像に載せて説明しているだけという発表も多いような気がする。実にさまざまな分野の人が集まってきているようだから(IAPSは、建築学会と都市計画学会と人間−環境学会に保健衛生みたいな学会を合わせたような総合的な学会になりつつあるような気がする)、テーマを分けてもごった煮状態。討議も難しいか。

 昨日、水を購入した店の少年も、ポスター貼りをしてくれた係の(たぶん)学生も、親切で、はにかむようなところがあって、日本人と共通するものを感じた。少し安心する。

 昨日の夜、面倒だったのだが、食べないわけにもいかないかとレストラン探しに出たところ、店の外にメニューを出しているところがないのには驚いた。いくらで食べられるのか、見当もつかないじゃないか。

 英語をしゃべるおじさんに見つかって、その店に入ったが、要するに、コミュニケーションを取らなければ情報が得られないしくみになっているということだろう。人と話すことなしには情報が入ってこない。情報は人にあり、だ。

 こういう環境は、便利とは言えないだろうし、外国人などのよそ者にはやりにくい。コミュニティを強く感じさせられる生活の仕方だと思う。

 そういうところで、はにかみがちの少年や、かわいらしい子どもたちが育ち、便利な世の中で、個人主義的な、人を介さないで情報の海を泳ぐ青年たちが育つ。私は、この街のやり方に溶け込めないでいながらも、前者に郷愁を憶えることも確かである。

9/14 (Thu)

 昨日は、O氏とM氏に巡り会えたおかげで、久しぶりに話をしながら飯を食えた。やはり食事は一人でない方がいい。アレキサンドリアの湾を見下ろすオーシャン・ビューのレストランで、海風が心地よい。Comfortableという言葉が似合う場所だった。シーフードもおいしくて、ゆったりとした時間を過ごせた。値段は100£E=2,000円くらいになった。これは、日本の感覚で言えば10,000円くらいに相当するのではなかろうか。

 地球の歩き方によれば、エジプトでは、外食の習慣がないということで、レストランは高級なところしかないのだそうだ。軽食スタンドみたいなものはあって、そちらが大衆向けということになるのだろうが、こちらはせいぜい200円くらいの世界である。ざっくばらんな比較であるが、これが正しければ10倍の開きがある。高級フランス料理店と大衆食堂なら、確かに日本でもこれくらいの開きがある。そうか、金持ちというのは庶民の十倍くらいは稼ぐ人のことなのか、などと思う。

 それにしても、その中間層は存在しないのだろうか。いないのだとすれば、やはり貧富の差が激しいということになろう。

 夜、道端のカフェで佇んでいると、物売りの少年がやってきたりする。彼はティッシュを売っていた。ロレックスを売りに来るおじさんもいるし、靴磨きのおじさんもやってきた。そのあたりが、底辺層に近い輩であろうか。そういう輩にも無下にしてはいけないような気がしてしまう自分に日本を感じる。一億総中流だからね。無視することに慣れていない。

 いくつかの発表で、国民層が二分化されることの問題が指摘されていた世界を見渡せば、富裕層と貧困層が明確に分離されている or されつつある国々の方が数が多いことを考えに入れて、さまざまなプラニングをする必要があるだろう。授業で、そんな話もしてみたい気がしてきた。グローバルな視点を持つ日本人であって欲しい。

 ろくに英語もできない日本人の発言ではないか!?

 (もっとも、日本も二極化しつつあるから、人ごとではない)

9/15 (Fri)

 たぶん、カフェがいけなかった。トルココーヒーの脇に添えてあった水を遠慮がちに二口飲んだ。食事を共にしたO氏もM氏もZ氏も何ともなかったというのだから、そのあたりが原因だろう。夜中の2時頃から胃のあたりがむかむかしだし、6時頃吐いた。その後8時くらいまでは数分おきにトイレにかがむ事態になった。そのうち下痢もはじまり、ひどいときには、同時開催になる始末。こんなに苦しい思いをしたのも久しぶりだ。

 妻が持たせてくれた期限切れの薬も吐いてしまったので、とにかく横になっていた。少し熱っぽいようでもあったし、強烈な嘔吐でどこにも体力が残っていないという状態だったから。時々思い出したように水を口に含む以外はぼーっと寝転がって過ごす。

 夕方、若干落ち着いたかと思い、水を買いに出かけ、もう一度薬にチャレンジして寝てしまった。これがよかったらしく、11時頃には胃のあたりの痛みも治まった。

 聞きしにまさる強烈な食あたりであった。

 というわけで、空白の一日ができあがった次第である。

9/16(Sat)

 昨日は、カンファレンスの開かれているアレキサンドリア図書館の本体を見学した。街並みの中に金属がほとんど見られない中では異質な建物である。なるほど国際コンペを勝ち取ったプランだと思う。単純にいえば、円筒を斜めに切り取ったような形で、半分が地中に隠れている。その斜めの屋根からの自然採光と、階段状に配置された書架のプラットフォームが特徴的な建物だ。明らかに英語の本が多かったが、今後、エジプトの知をリードする核としての位置づけを得られる施設になっていけるだろうか。今はまだ、観光名所の位置づけの方が強い気がするが。

 1日遅れの日付を戻そう。

 本日はアレキサンドリア出立の日。昨日購入したチケットで一路カイロへ。どのプラットホームから出るのかがわからず、うろちょろしていたら、なぜ聞かないんだとおじさんに言われてしまった。いやー、駅員らしき人が話し込んでいたから...という感じで、律儀な日本人は待っていたのだが。彼は「5番線だよ。」というので、そこに止まっていた列車に乗り込んだら、「これは違う」と乗務員に言われ、降りた。次に到着した電車は急行らしき車体だったので、よしよしと乗り込んだら、またえらい剣幕で「No」と言われてしまった。あと10分で出発時間なのに、どういうこと? ここで駅員に聞いたら7番線だという。はいはい、7番線で待っていればいいのね。ところが集発予定の11時を過ぎても列車は来ない。しばらくすると、エジプトらしい反響の大きなアナウンスが流れた。もちろんアラビア語はわからないが、「イル・カーヘラ」が出てくれば、カイロ行きの列車に関する説明だろうとあたりをつけて耳を澄ましていると、確かにそう言ったような。よしよし、今度こそ。そうしたら、サングラスを掛けた売店のお兄ちゃんが、握手を求めてきた。何か買って欲しいのかと思ったら、そうではなくて、列車は反対側のホームから出ると身振りで教えてくれる。実際、その数分後には目的の列車がやってきた。

 何ともエジプトらしいと思って出来事を書いてみた。情報は人が伝えてくれるが、誤っていることも多く、でも神の思し召しだから仕方がない。そうして、何となく人がつながって社会が動いているということを表している気がするエピソード。

 列車は、途中、これが急行というようなスピードで走るところもありつつ、30分〜1時間遅れくらいでカイロに到着したのだった。(時刻表もないから、実は何時に到着すれば定刻なのかわからん。)

9/17(Sun)

 昨日、カイロで見た考古学博物館はよかった。私の場合、どうしても考古学的な価値というより、美術品として見てしまう。だから、「美しい!」というか、感動させてくれると、「いい!」と思ってしまうのだった。一番のお気に入りはアメンホテプ3世と王妃ティの巨像というやつで、1階中央ギャラリーの中央にあった。絵はがきにはなっていなかったから、1.5流のものなのかもしれないが、なんだかよかった。アマルナ美術の傑作という巨像たちもいい。ほかにも壺とか装飾品でよいデザインのものがあった。売ってくれるなら買いたくなるような。

 芸術なんてみんな大昔にできあがっていて、今はそれをちょこちょこっとmodifyしているだけだというのが親父の説なのだが、うっかりすると、そう思えてきてしまうほど。

 しかし、カイロはこれでおしまい。夜行でルクソールに着いて、午前中にカルナック神殿(アムン大神殿)を見に行った。ここが見たくてルクソールに来たのだが、そのスケールには圧倒された。(確か16mだと英語のガイドが説明していた)柱が建ち並ぶ列柱室もそうだし、第1塔門もオベリスクもでかい。パピルスを象ったという柱の太さは3mほどもあったか。こういうスケール感は写真では表せないのだが、芸術の大きな要素のような気がする。

 昼過ぎは、あまりに暑くてダウン。部屋で休息を取ることにした。きっと40度近い温度だ。日差しの中だと干涸らびてしまう。食あたりと夜行で弱っていることを自覚した午前中だったので、おとなしくしていたのだった。昔なら、行っていたかもしれないけどねー。

9/18(Mon)

 ホテルの親父に、ツアーへの参加を勧められたけど、ツアー嫌いの私は、自転車で王家の谷e.t.c.を目指すことにした。暑くなってからは無理だといやというほど感じたので、6:00のフェリーで対岸へ。上り坂をこぎまくり、日が昇る頃、目的地に到着。

 さて、王家の谷ではツタンカーメンの墓が有名だが、他にも数十もの墓があり、中身はない。みんな盗まれた。で、壁画を見ることになるわけだ。

 エジプト芸術に開眼(?)したので、じっくりと見ていたら、ドイツ人らしきおじさんに声を掛けられた。日本には伝統的な絵画があるのに、こういう西洋絵画の源流みたいな絵に興味があるのか、というのである。なるほど、西洋人らしい質問だ。まあ、ちょろっと、まずい英語で説明したところで、奥さんが来て、そんな話してるんじゃないわよ。グループ行動に遅れるわよ、ときっと言っていたに違いない。別れることになった。(話の終わり頃、Are you a teacher? と聞かれてしまったのだが、どうしてわかったのだろう。)

 ハトシュプシュト葬祭殿は、10年ほど前、ゲリラの襲撃で日本人を含む50人ほどが亡くなった場所だ。密かに、手を合わせてみた。

 この建物は、階段&斜路で表現される中央の軸線が非常にはっきりしていること、テラスが面として場所を規定していること、山が屏風のように背景となっていることが、強い象徴性を生んでいると言っていい。その空間を体験したかったわけだが、もし、ゲリラに襲われたなら、それはどこにも逃げ場がないことを意味する。確か新婚旅行で来ていたカップルも犠牲になっていたと思うが、突然の最期の時に何を思っただろうか。

 現在は街にポリスマンがあふれている。ホテルでも、美術館でも、必ず荷物チェックされるから、そこにも人がいる。だいたいにおいて、急激な人口増加に悩んでいるからだろう、無駄に人が多い。というか、仕事をしていない人が多い。しゃべっていたり、待っていたり、暇そうにしていたり。そうやって、work sharingをしているのだろう。無駄をなくすということは、この国では善ではないのかもしれない。

 アスワンダムの水を西方砂漠にポンプアップして流し、農作物を作れる耕地を作りつつあるという話をカンファレンスで聞いたが、そういうことをやって、人口を移さないと、ナイルの沿岸地域だけでは人口をまかないきれないようになってきているらしい。

 帰国の日が迫ってきた。夜行でカイロへ。

9/19(Tue)

 ルクソールで見た神殿には、あの、肩がこちらに向いていて、足や顔は横を向いているという絵が描かれているほかに、ヒエログリフが壁を埋めていた。これはれっきとした文字なのだが(ロゼッタストーンを用いてシャンポリオンが解読したことは有名である)、トンパ文字と並んで、もっとも絵に近い文字ではなかろうか。文字が並んでいるというより、模様が並んでいるという感覚である。だから、絵として見ても、邪魔にならない。壁という壁にcarvingが施され、まっさらな壁などひとつもない。鑿の跡が残るだけの壁も珍しい。壁はパピルスと同様に、何かを記録して伝える場所だったのだろう。

 私には美が問題なのだが、そういった場面で、果たして美がどれだけ考慮されていたか疑わしい。どうやってデザイン要素の配置を決めたのだろうか。

 そんなことを考えていると、ふと「民芸」という言葉が浮かんできた。柳宗悦が提唱したのは、無名の工匠たちが巧まずして到達した造形を評価する、千利休などとも共通する概念だけれども、エジプトの古代芸術もそういうところがあるのではないか。同じような表情で、同じようなポーズで作成され続けた、多数の彫刻群を眺めていると、そんなことを思ったりした。

 ピラミッドはあきらめて、イスラム地区の建物を巡った。ずいぶん歩いたけれど、まあ、汚いところであった。建築も、エジプトレベル(施工が粗いので....気になる)。感動させるようなものは少ない。半日を無駄にしたかな。まあ、途中でいくつかの出会いもあったし、こんなものかということにして、愛しの日本へ。

 あーあ。また3路線乗り継ぎかー。

9/20(Wed)

 さて、無事日本に着いたところで、エジプト旅行記は終了としよう。

 冒険。旅。旅行.....私は冒険好きではないから、まあ、冒険はしない。リスクはできるだけ減らしたい。旅行という言葉にはアレンジされたものを感じるのだが、自由にやりたい方なので、それもちょっと違うか。そういう意味では旅が私が望むものに近いような気がするのだが、だんだん保守的になってきているかも。つまり、旅の面倒くさい部分が気になるようになってきた。これは、旅行者として触れるだけでわかるようなことは、もう手に入れてしまって、(旅の成果/面倒くささ)が小さくなってきたからだろう。

 エジプトは30カ国目、外国滞在期間の通算がちょうど1年という、節目の旅であった。しかしだ。アレキサンドリアでは不調で、ルクソールでだいぶ持ち直したことを考えると、結局、英語もしくは仏、西、独語などが通じて、ストレスをあまり感じずに済むところ、つまりは観光地を回る旅をしてきただけなのだなあと、改めて認識させられた。もがいても、旅と旅行の中間ぐらいかと、そう思うのであった。

ではまた。


2006.09.22


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