スウェーデンとフィンランドの旅

 

スウェーデンとフィンランド

(AIC08の折り、訪ねたところ)

□□ 機内にて □□

 往きの飛行機の座席は、有無を言わせず窓側だった。新聞を読んでいると、すでに離陸してしばらく経っていたらしい。眼下には大地が広がっていた。このような風景を見るのは久しぶりだ。快晴でもあり、しばらくは空からの観察と相成った。
 山がちの地形であったから、そろそろ福島県に近づいたあたりだろうか。山襞を網の目のような道路が走っていた。そして襞づたいに畑地が細々と見える。集落も確認できたが、割と分散しており、この程度の土地があれば、これだけの人を養っていけるのか、と思わされた。人がつつましく生きていくのであれば、日本の土地はまだまだ支える力を有していると感じる。
一方で、山襞の道をたどれば、それが機械とエネルギーの産物であることがわかる。「よくぞ、ここまで。」と思わされる、畑に用のある人しか通らないであろう袋小路の道、山に登って降りてくるだけのための道。一体、1年の間に何度使用されるのだろうかと考えさせられるような道も多い。それがサッカーボールを入れるネットのように大地に模様を描いている。人が住まなくなれば、エネルギーが不足してくれば、忽ち草に覆われるであろう。ふと、そんなことを考えた。
 宇宙船からの眺めは、人の無力さと自然の美しさを訴えかけるそうだが、地上千数百メートルからの眺めは、人の営みと、その時間を見せてくれるようだ。

□□ フランクフルト □□

フランクフルトは、20年ほど前に初めて訪れたヨーロッパの街である。と言っても、どこのレストランに入ろうか迷っているうちに食べ損ね、夜行でウィーンに向かったから、旧市街の広場の風景が朧げに浮かんでくるに過ぎない。
 いくつか訪ねたい建物があったのだが、もっとも行ってみたかったのがコメルツバンク本社ビル。N. フォスターが自然換気を取り入れてエコロジーに配慮したという建物である。実際には1階部分のロビーしか入れない。特徴的な途中階の庭園を見ることはできないのだが、一目見て写真を撮っておきたかったのである。欧州中央銀行があるためか、活況を呈している経済を背景に林立する高層ビル群とともに、曇り空の中であったが、シャッターに収めることができた。

静物画

 ヘキスト染色工場管理棟を見に行ったのだが、塀に囲まれた広大な工場地帯の中にあることがわかった。入り口でセキュリティチェックのシステムがあり、そのあたりに誰もいないので早々に諦めて、絵を見に行った。
 Stadel美術館で行われていた特別展は、静物画を大量に見せるものであった。果物などを並べたもの、花を飾ったもの、動物を並べたもの、頭蓋骨を置いたものなど、さまざまな静物画のコーナーを眺めて、どうして静物画は美しくないのだろう、と考えた。兎に角、美しくないのである。どうにも名画と呼べそうなものに出合えそうにない。
一番の要因はさまざまな物を並べるというその画面構成にあるような気がする。さまざまな色、さまざまな形のものを所狭しと並べ立てる。そこに秩序を見出すことは難しい。パンフレットには「ジャンルとして確立している」と書かれていたが、それは画家の修行の一部としての、精密に描き分ける習作として確立しているだけではなかろうか。ディテールの表現の研鑽という意味以上の鍛錬がどれだけ考慮されてきたのかは疑わしい。
 そう考えるとき、セザンヌは特別な存在だ。静物を扱って名画をものにしている。そこには、よく紹介される彼の理論、「すべては球、円筒、円錐に還元される」と三角形をもとにした画面構成が関係しているように思う。理論を構築することで、静物画に秩序を持ち込むことに成功したのではないか。
 名画には、名画たる所以がある。そこには、時代を変えた視点が存在する。


□□ ストックホルム □□

 ストックホルムでも似たような経験をしている。新婚旅行でスカンジナビア航空を利用したため、一泊せざるを得なかった。日本で予約したホテルに転がり込んだところで二人とも寝てしまい、目覚めると深夜。結局、せんべいか何かで飢えをしのいだ。翌日は飛行機でウィーンへ。もしかすると、ウィーンに向かう日は食事にありつけない!? ヨーロッパを半年も放浪した経験があるのだから大丈夫とばかりに自由旅行を気取ったのはいいが、しょっぱなからこれで、よくぞ婚姻届出前離婚にならなかったものである。妻に感謝せねばなるまい。

街のイメージ

日本で天気情報を見たときにはずいぶん心配したのだが、滞在中、ほぼ全日晴れた。気温もそれほど低くはない。昼過ぎに雨が降るのだが、それ以外は快適に過ごせた。
 学会場近くの丘の上に上ってみると、旧市街Gamla Stanを見下ろすことができた。湖に浮かぶ島といった風情だが、海のような湖の印象、チャーミングな建物の印象と共に、空の印象が大きい。日本で思い浮かべる青空よりもっと柔らかい色で、例えるならばネーデルランド派の風景画に現れてくるあの青だ。雲が何とも美しい。

森の礼拝堂

 アスプルンドの森の墓地を見に行った。バスを乗り過ごし次のバス停から歩いたので、横道から入り込むことになった。そのためか、有名なアプローチの印象はよくない。写真を撮るといい感じなのだが、実際には茫漠とした感じが残った。
 一方、突然遭遇することになった森の礼拝堂の方は、出会った瞬間にハッとさせられた。運命的な出会いに近い。「嗚呼、いい。」と思って、少しずつ近づく。じっと見つめたまま。
 木肌葺きであるし、ある意味日本的な建築である。確かに森が主役であると感じさせるその場所に溶け込むことを考えるのならば、日本的な風情になるということなのかもしれない。苔むした屋根とその緩やかな曲線がそれを感じさせる。
 私の名刺には小建築の画像を挿しているのだが、次はこの建物にしようと思う。

AIC meeting

 ストックホルムには国際色彩学会(AIC)の大会に参加するために来た。途中、何の連絡もなく会場が変更になったり、プログラムを送れと言ったのに送ってこなかったり、会場で確認してみたら古いアブストラクトが印刷に回されていたりと、運営に関してはいろいろある。しかし、まあ、例年のように数式の世界からアーティストの世界まで、さまざまな発表があった。今回は「Color, Effects & Affects」というテーマのためか、ソフト系の発表が多めの印象である。
 変な話だが、今回一番収穫だったのは、コーヒーブレイクに日本人の留学生に聞いたカラーヴィジュアライゼーションに関する話題である。昨年、インテリアをどのように撮影したらいいかという模型を使用した実験を実施したのだが、CIECAM02という勧告に参考になりそうな情報が掲載されているらしい。これは以前、別の先生にも取り寄せてみることを勧められたものだが、照明学会のページで発見することができなかったので、そのままになっていたのだった。
 インテリアの画像を撮影するなんて、Autoでシャッターを切ればいいと思う人もいるかと思うのだが、窓外の風景が真っ白に写ったり、照明が滲んで写ったり、見た目以上に照明の色味が感じられたりと、実はなかなか難しいのである。ダイナミックレンジ(明るさの違いを感じ取れる範囲)が人の目よりカメラやモニターで狭いこと、人の目は照明環境に慣れるということがあるのに対し、カメラはそのままの光の状態を再現するので、異なった照明環境(モニターが置かれている場所は撮影した場所と同じ照明状態ではないことが多い)では同じように見えないことが主な原因である。
 もう少し調べてみよう。

□□ トゥルク、パイミオ、ノルマルック □□

 思えば危険な賭けだったかもしれない。生まれて初めて左ハンドル車を運転し、フィンランド南西部の建築を見て回った。学会で会った後輩には「よく、一人で回りますね。」と言われた。一人が運転し、一人がナビゲーターをするのでなければ、カーナビを装備していない、マニュアル車しかないレンタカーで回るのは大変だろうというのである。
 彼女は正しかった。大変なことだった。地図を頭に入れて、通りの名前や地形やサインを確認しながら走ることは、慣れない左ハンドルで時にエンストを起こしながら、時にワイパーを動かしながら(左ハンドルだと、右のバーがスイッチ。ウィンカーは左手で操作する)では、大変なコンセントレーションを必要とする。船の中で十分な睡眠が取れなかった身にはつらい。
 それでも、Poriという街でバイパスが入り組んでいてよくわからず確認に手間取った以外は、不思議なほどスムースに走れた。

ヴィラ・マイレア

 悩んだ末、パイミオのサナトリウムとヴィラ・マイレアの両方を回る日程を組んだ。ストックホルムからの船が入港したトゥルクからパイミオは近い。けれども、マレイア邸のあるノルマルックまでは150km以上ある。しかも一人で行くと法外なガイド料を請求される。内部写真は撮ってはならないというのにである。それでも、まあ、なかなか行く機会はないだろうと、勢いで訪問することにしたのだ。
サナトリウムはアアルトの出世作であり、ガイドツアー(と言っても客は私一人だった)の説明を聞くと、彼がさまざまな工夫を行ったことがわかる。それはそれで面白かったのだが、マイレア邸の方は、空間自体に力があった。親切に説明してくれたガイドの女性を悲しませないために、その解説をきちんと聞いてはいたが、本当のところは、椅子にでも腰掛けて、ぼーっと時間を過ごしたかった。そう感じさせる空間なのである。
 行きがけに、斉藤裕さんの写真集を見てにわか勉強して出かけたのだが、写真のイメージよりこじんまりした印象を受ける空間であった。中邸宅とでも言おうか、多くの家族が集える空間でありながら、親密さを感じさせるスケールなのである。彼の本には、アアルトが最終案に至るまでのアイデアの変遷が説明されていたが、最終案の高低差や空間のくぼみをうまく利用したワンフロア型の空間構成は、広くもなく狭くもない空間を生み出している。その感覚は現地でないと感じられないものだろう。
 窓は開け放てるように床から天井までガラスにし、家具は低く視界を制限しないように作られている。それが庭との一体感を生み出している訳だが、ミースと異なるのは家の中にも自然を持ち込んだからか。ファンズワース邸は空間を切り取った感じがするが、マイレア邸は自然の中にいる心地よさに近い感覚を得られる。

□□ タンペレ、ユヴァスキュラ □□

 今回は下調べに時間がかかった。美術館や博物館なら地球の歩き方にも情報があるが、建築内部を見られる時間を調べたり、行き方を調べたり、それに合わせて旅程を組むことは時間が掛かるのである。充分に考えて旅程を組んだつもりだったが、それでも、まったく旅程どおりに進まない事態が出てきた。ひとつにはタンペレでカメラを盗まれたため警察にご厄介になる必要が出たためであり、もうひとつは夏至を祝う国民の休日とタンペレ以降の滞在が重なり、その間は街が動かなくなることを知らなかったためである。
 ユヴァスキュラは、「人っ子一人いない」と形容しても大袈裟でない、本当に人通りのない1日であった。アアルト・ミュージアムも閉館、サイナッツァロのタウンホールも誰もいなかった。したがって、外観を眺めるのみで満足せねばならない。
 今回のフィンランド訪問にはひとつの目的があった。アアルトの白の時代の建築と赤の時代の建築を両方見ようというものである。これは「(仮題)白い建築、茶色い建築」という文章を書くための取材の一部である。現代はいざ知らず、近代まではこの2色が町の色を規定していたのではないかというのが私の仮説だ。そして、その2色の特徴を明らかにすることから、現代の街並みに溢れているさまざまな色や素材について考察してみようという目論見である。まあ、うまくいく保証はないが、アアルトは2つを使い分けたのだから、それを題材にして語ることができるのではないかと考えたわけだ。ということで、外観だけでも何とかなるのだが、途中から予備のカメラになってしまったので、画質と画角の広さに難がある。それが気がかりだ。

□□ ヘルシンキ □□

 2日の予定が1日になってしまった。予定していた中ではオタニエミのチャペルに行けなかったのが誤算だった。何と日曜日にはバスが運行していなかったのだが、乗り換えのバス停の時刻表は誰かが粉砕して紙が紛失していたので、ボーっと1時間過ごしてから隣のバス停まで行って確認することになり、もう間に合わないであろう時間になってしまった。心残りである。
 前回ヘルシンキを訪れたときの心残りは、キアズマ(ヘルシンキ現代美術館)の内部を見学できなかったことと、フィンランディアホールの外壁を修繕中で、その姿を拝めなかったことであったが、今回、それは果たすことができた。
 フィンランディアホール。夕方ヘルシンキについて道路側から眺めると、ちょうど日差しが建物全体を白く輝かせていた。美しい。これほど美しい建物が他にあるだろうか。感動させる建物はあるにしても、美しさに勝るものはないと思う。
Finlandiatalo@.jpgクリックすると拡大します

 キアズマ。これは入り口から覗いただけの前回のような感動は得られなかった。そこには、現代芸術の展示を見てしまったことが関わっている。どうも現代劇術というのは底が浅い。目新しさ勝負であって美を追求したものではないから、じっくりと眺めようという気にさせるものは少ないのである。アイデアと美がシンクロした喜ばしい時代は過ぎた。ただ、発見もあった。映像芸術が多く流れていたが、その印象は同時に流れていた音・音楽によって多くを規定されていることを発見したのである。何のことはない。バウハウスでモホリ・ナギたちが試みたことではないか。そう言われればその通りであるが、絵画や彫刻とは異なる可能性を確認できた。
 ただ、これらの芸術が100年後の人にまで何かを訴える力があるかどうかはわからない。現代芸術は消費されて消えていく可能性のほうが大きいように思う。もしかすると、キアズマもそういう運命かもしれない。

□□ 機内にて □□

 初めて津軽海峡を越えたとき、なんて緑がきれいなんだろうと思った。北海道は植生が違うのだろう。木々の緑が明るいのだ。スウェーデンもフィンランドも緑がきれいだった。 June Brightという言葉は、このような国で生まれたに違いない。門出を祝うのに最高の季節である。
 長い冬を過ごすために室内のデザインに気を使い、シンプルだが自然と温かみを感じさせるデザインを生み出した北欧の国々は、エネルギーや資源を奪い合わなくてはならなくなった現代に、どんな生活を送るべきかの指針を与えてくれるように思う。
 ヘルシンキは、湖に緑がそよぎ、建物が映る。ストックホルムもそうだったが高層ビルは皆無である。郊外には緑豊かな住宅地が広がる。やはり、こういう環境を作りたい。


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