環境評価研究から

環境評価研究から  

  「良い環境とは、どういうものか知りたい。」私は、そう思って研究を始めた。だから、「良い−悪い」、「好ましい−好ましくない」というような、環境の評 価に興味がある。「良い−悪い」ということになれば、これは人間の判断なのだから、心理学と関係があるだろう。それが、建築環境心理という分野の選択につ ながっている。

「乾正雄著:やわらかい環境論 街と建物と人びと、海鳴社」

 この本は、大学院在学中にお世話になった先生が書いたものなのだが、先生はこの著書の中で「人間メーター」という言葉を用いている。建築環境を測るときに、人間をメーターとして使ってはどうかという提案である。
 建物を造るときには、物理的な話をよく考えて造らねばならない。建ててすぐ地震が来たら壊れたでは困る。だから、実際に造っているときには、部材の物理的な特性などをよく考えて造る。...それで壊れなければいいではないか。これは、造る側の論理である。
 大学時代に、構造の先生がこういう話をした。高層ビルにいるときに大地震に遭遇したとする。そうすると接合部でボルトが動く。カーン、カーンとものすご い音がするはずだ。その時も、お前たちはあわててはいけない。動いても壊れないように設計されているということを今日習ったのだから。
 「いや〜、でも、それは怖いよな〜。少なくとも、一般の人はパニックになるよな〜。それで本当にいいのかな〜。」そう思った。それは、私が造る側の人間 ではなく、使う側の人間の論理を持っていたからだと思う。甘い、お前は建築家ではない。そう言われるかもしれない。そのとおりである。
 建築学科の建築とは、建てる築くだから、造る側の論理が優先しやすい。造られるのは物だ。しかし、できあがった建物を使用するのは人間だ。だから、でき あがった建物の評価は、人間メーターで計測するべきだと思う。人間メーターを用いれば、例え、地震で壊れないにしろ、壊れるという恐怖を与える設計は良い 設計ではないということになる。少なくとも、改善の余地がある。そう考えるべきだと思う。
 私は、たまたま職を得たのが生活環境学科というところだった。私はこの学科の名前が好きだ。生活環境ということになれば、必ず人が介在してくる。人間 メーターの考え方は、こちらの方が馴染む。「良い建築を造ろう」だと、機能面を犠牲にしたすごくアーティスティックなものも許される気がするが、「良い生 活環境を造ろう」なら、人と環境の関わりについて多面的に捉える必要がありそうでしょう。
 そう。私は「良い建築」よりも「良い生活環境」を造りたかったのだ。


 ふーん。じゃあ、人間メーターで測定した結果をもとにすれば、必ず良い環境を造ることができるの???


  大学院時代に私の隣の席でもそもそと研究していたH氏は、(彼はいつもそうだったのだが、)ある日の明け方、こんな哲学的な質問をしたことがある。「麻薬 におぼれている人が、とてもいい環境だと言った。薬をくれ。この素敵な状態をもっと味わいたいんだと言った。あなたはどうする。」というのである。人間 メーターは、[快適]を指し示している。しかし、その快適を持続させることにためらいはないかというのである。
 この問いは、人間メーターを信頼しすぎてはならないということを示していよう。なんだ。人間メーターは大したことはないなあ〜。
 でも、乾先生はこう書いている。「人間はメーターとして信用できないと言う意見も多い。しかし、結局われわれはこれしか頼るものがないことを悟るべきである。」
 なんと言っても、実際に環境で暮らすのは人間なのだ。やはり、人間が判断基準になるだろう。では、人間の判断に狂いが生じたら、どうしたらいいのだろう か。それには、教育が関わってくると思う。人間の判断をより好ましい方向へ修正するのである。そのためには、その修正の方向性を明らかにする必要がある。 で、人間がどんな状況で誤った判断を下しやすいのか何てことを明らかにするためにも、人間メーターによる計測データが必要だったりする。


 人間メーターの問題点として、個人差の問題もよく言及される。十人十色なんていう言葉もあるぐらいだから、人によって評価が異なるのは当たり前ではないか。それで、評価をとって何の意味があるの?
 だいたい、一般人の評価をとって意味があるの?プロの目で評価してもらうべきなんじゃない?


  大学院時代に、自分がやっていた街路景観の評価構造モデルについて、同じ建物にいた認知心理学のI先生に意見を聞きに行ったことがある。その先生は、教育 学部出身の先生だったから、教育を受けた人とそうでない人の違いに興味を持っているようだった。それで、逆に質問されてしまった。「建築の評価というの は、建築家の間では共通しているの?」。
 その時私は、「コンペ荒らし」の説明をした。競技設計の審査員の好みに合わせて作風を変化させ、賞金を稼ぐコンペ荒らしがいるのだから、プロといえども、評価はさまざまですよ。そんな風に説明したと思う。
 結局、好みの問題で、プロだから共通した評価を下すというわけではない。こんな風に評価の個人差があるのだとすると、評価の研究をしても、究極の良い環境は作れないのではないか。
 実は、環境評価の研究をしている人も、皆そう思っている。じゃあどうするか。そこにはいくつかのやり方があると思う。個人差をある程度グルーピングして 対処しようとする人もいるだろう。一人一人のニーズの違いを、インタビューやアンケートによって捉え、それを環境づくりに反映させようという人もいる。私 は最近、もう一つの視点に興味を抱いている。
 一人一人が違うなら、それはその人が一番よくわかっているはずだから、その人に環境を調節してもらおうというのである。つまり、人間をメーターとして見 るだけでなく、制御機構も備えている存在として捉えようというのである。そうすると、どうしたら制御行動を起こしてもらえるのか、制御する道具はどんなも のを用意すればいいのか、どんなときに誤った制御をしてしまうのか、そういうことを明らかにしていく研究をしようということになる。
 人間メーターとして捉えられた人間は、どちらかと言えば受け身の人間である。環境を選択する存在として位置づけられているだけだ。しかし、人間は環境を 変化させることができる。環境に働きかけをする、よりpositiveな存在として、人間を捉えること。そこから、新たな環境評価研究が始まるように思え る。


fin.
1998.10.24

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