理念と伝統

ここからページの本文です

岐阜県岩村に生まれ育って

実践女子学園の創設者である下田歌子は、1854(安政元)年に美濃国恵那郡岩村藩(現在の岐阜県恵那市岩村町)の藩士、平尾鍒蔵と、妻房子との間に長女として生まれ、鉐(せき)と名付けられました。

生家の平尾氏は岩村藩主松平氏に代々仕え、学問に優れた質実な家柄でした。祖父の東条琴台は幕末の進歩的な学者として知られ、江戸に出て多くの著述を出しました。しかし幕府の咎めを受け、明治維新まで越後高田の榊原家に幽閉されてしまいます。

父の鍒蔵もまた、幕末にあって尊皇を説く学者でした。20歳のときに平尾の家督を継ぎましたが、藩内の勢力争いに巻き込まれ、謹慎、役職・家祿の停止など、不遇の時代を過ごします。

詩稿(11歳)詩稿(11歳)

平尾家のこうした不遇の年月の中で、鉐は少女期を送りました。失意と貧困の暮らしの中で、なお学問と大義のために生きながら、両親と祖母は鉐を厳しくも愛情をもって育てました。

これに応え、鉐は幼いときから和歌や俳句、漢詩、日本画に才能を発揮します。桜田門外の変を聞き、俳句で「桜田に 思い残りて 今日の雪」と詠んだのは、6歳のことです。

また、厳しい生活を支える祖母と母の姿を見て育ち、自らも平尾家を支える一員として働くと共に、苦難を乗り越える精神の強靱さを身につけたことは、鉐の人生に大きな影響を与えました。