理念と伝統

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実践女学校の創設・一般女子教育の実現

1898(明治31)年、歌子は帝国婦人協会を設立しその会長となります。帝国婦人協会の目的は、これまで上流階級に偏っていた婦人団体を広く一般に及ぼして全国的な組織とし、新時代に生きる日本女性としての教養と自覚を高め、精神的自立と生活改善をはかるというものでした。その理念は、「帝国婦人協会設立主意書」に次の通り記されています。

一家の風儀を釐正するは、単へに女子の感化によらざるべからざるが如く、国家の風紀を善美ならしむるも、亦女子が勢化を要せざる可らず。
まことに、揺籃を揺るかすの手は以て能く、天下を動かすことを得べし。

実践女学校の常磐松初期校舎実践女学校の常磐松初期校舎

1899(明治32)年、実践女子学園の前身にあたる実践女学校および女子工芸学校を、東京市麹町区元園町に、帝国婦人協会の事業として設立します。両校は、社会の様々な場面で女性が果たす役割を重視し、幅広い教養と実践的な学問を教授することにより、女性の社会的立場の向上と自立を図ることを目的としていました。歌子の一般女子教育にかける強い想い、その第一歩が実現した瞬間です。

本校は本邦固有の女徳を啓発し日進の学理を応用し勉めて現今の社会に適応すべき実学を教授し賢母良妻を養成する所とす。(「私立実践女学校規則」)

翌1900(明治33)年には、帝国婦人協会新潟支会に裁縫伝習所(現在の新潟青陵学園)を設立。 その後も順心女学校(現在の順心広尾学園)、逓信省付属の明徳女学校、淡海女子実務学校、愛国夜間女学校などの設立に携わり、校長を兼任するなどしました。これ以外にも教育面や経営面に関わったものを併せると、歌子が女子教育に携わった学校は8校以上に及びます。これらの学校は、大半が経済的に恵まれない女子や、一般女子のために進学しやすいよう企画され、授業料も低額でした。

歌子は一般女子教育への理念を、数多くの女子学校創立により、自らの手で着実に実現していきました。