「東アジアの近世絵画」

沈周  廬山高図   明(1467年) 
紙本墨画着色 193.8×98.1cm 台北国立故宮博物院
(複製)

 沈周(1427-1509)は、長洲の大地主の名望家の家に生まれた。その父も叔父も書画に造詣が深かった。当時復興し再び力をつけた蘇州の高い文化伝統の香りの中、恵まれた環境に育ち、詩文や書画によって中央にも名を馳せ、多くの文人たちと交流したが、官には仕えず、在野の名士として一生を終えた。その周りには、文徴明ら多くの文人画家が師と慕って集った。江南の中心都市であった蘇州は、明初の疲弊からこのころようやく立ち直り、再び繁栄を誇るようになっていた。そんななか、沈周を領袖として、文人画がこの地に再興し、呉派と呼ばれるようになった。
  沈周が画に本格的に取り組んだのは、40歳近くになってからといわれている。この作品は、沈周41歳の作。沈周の古画の学習の集大成であり、また自己様式の確立を示す記念碑的な作品である。作品は、沈周の幼い頃からの家庭教師陳寛の70歳を祝って描かれた。陳寛は元代の文人画家陳汝言の孫にあたる。その父と二代にわたって沈家の教師であった。沈周は、陳寛の先祖の出身地である名山廬山を、陳寛その人に喩え、その徳によって周囲に多くの峰峰を従える様を、王蒙の画法によって描いた。自ら「廬山高」と題し、北宋の欧陽脩の名高い「廬山高」を下敷きにした長い自題詩によって、廬山になぞらえて師への尊敬が表明されている。
画面右下、松の木の下に、道服を着て手を袖の中に組んで、廬山から流れ落ちる瀑布を前にたたずむ陳寛がいる。そこから斜め上方に大きな明るい岸壁が視線を誘導し、その果てに滝が流れ落ちている。王蒙の画風と描法を真摯に学んだ作品であるが、王蒙の作品よりも、ずっと分かりやすく、開放感ある明るい山水画となっている。これは、沈周の個性であると同時に、明代全体の傾向の反映でもある。同時に、骨太でおおらかな沈周画の特色が、すでにこの初期の作品にも明らかである。
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