槙 究 景観研究紹介

 

「癒しの街」というのは、昔ながらの街

疲れてくると、好みが変わる?

photo204.jpg 景観というのは基本的に絵である。美しければ好ましいというのは、そういうことを表しているのだろう。しかし生活空間では、美しくても使い勝手がよくなくてはいやだとか、そういうことが出てくる。
 そう考えると、スライドを見せたり、画像を見せたりして評定させるというやり方に抵抗を憶える人もあろう。それは、絵としての景観しか判断させていない。景観というのは生活景でなくては駄目だ。人がその中にいて、その人が生活をする中で判断するのでなくては駄目だ。そういう考えは特にデザインをする人に根強いものだと思う。
 それに対し、どう反論するか、どの部分を研究に取り入れるか。その記述は別の機会に譲るとして、ひとつの研究事例を示して、普段の生活の中では気づきにくいことがわかることもあるという実験のメリットを示してみようと思う。

 ある学生が街並みのことをやりたいというので、荻窪だか、その辺りの商店街を一緒にうろついたことがある。そう、ラーメンを食べたからやっぱり荻窪かな。ラーメンのときか、喫茶店でも入ったか、研究室に戻ってからか、それは定かではないのだが、彼女がひとつの思いつきをしゃべったのだった。「朝見る街並みと、仕事が終わって疲れてみる街並みは違うのではないか。」というのである。
 その時、私はK氏が語ったたとえ話をしたというのは、どこかに書いたか。「二日酔いの日に生理的な指標で滞在している部屋の良さを測れば、前日と同じ値にはとうていならないだろうが、心理的には近い値になる。心理的な評価というのは、存外安定性のあるものだ。」という話だ。
 つまり、朝夕で感じることが違うという結果になる可能性は低いと見たのである。しかし、まあやってみることになった。朝学生を集めてスライドの印象評価を行い、コンピューターを使った作業を延々とやらせて、夕方近くになってから、またスライドの印象評価をやらせる。評価に違いは出るのか。

 結果を言えば、出るものもある、出ないものもある、出る人もいる、出ない人もいる、であった。
 もっとも差が顕著だったのが、坂道。疲れていると「登りたくない!」となるらしく、実際に運動するわけでもないのに評価が下がった。

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 人による違いは「肩がこる」とか、「足がだるい」、「根気がなくなる」というような項目にいくつ○がつくかというお疲れ度について、朝夕で差があった人と差がなかった人で比較してみた。すると、疲れを意識していない人たちは都会的な、無機質な景観を相対的に好み、疲れを感じている人たちは昔ながらの、人情味溢れる、温かな風情の街並みを相対的に好むという結果が得られたのだった。
 ということは、スローライフとか、精神的な病とかが問題になりつつある今、後者の街並み造りを推進していってもいいのではなかろうか。

 車がたくさん写っている画像を見せると、「うるさそう」だからと評価が下がる、ということもあるし、画像を見せただけでも、ずいぶんと生活まで取り込んだ評価を人はしそうだというお話でもある。

※紹介した研究の詳細は....槙 究、大村容子:街路景観評価に及ぼす疲労の影響 −VDT作業前後の評価比較−(第8回人間・環境学会大会)、人間・環境学会誌、Vol.7、No.1、pp.50、2001.11
槙 究:街路景観評価と疲労感の関係、日本建築学会環境系論文集、No.609、pp.79-84、2006.11参照