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教員インタビュー vol.6



深瀬 有希子
Yukiko FUKASE
文学部 英文学科 准教授
専門分野・専攻/アフリカ系アメリカ文学文化

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[プロフィール]慶應義塾大学文学部英米文学専攻卒。慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻修士課程修了、同大学院文学研究科英米文学専攻博士課程単位取得満期退学(博士文学)。2016年より現職。

作者の言葉に息づく想いをくみ、
過酷な状況の中を生き延びた
人々の歩みと精神性を見つめる。

「内容が理解できない」読書体験から研究の道へ

画像イメージ後年、研究者となった先生は、米国トニ・モリスン学会で本人にお会いする。その際、自身の原点となった小説Belovedにサインをもらう。

 アフリカ系アメリカ人作家・思想家の作品研究を専門としている深瀬先生がその世界に出会ったのは、学部生時代のこと。授業にて、黒人女性作家トニ・モリスンの小説Beloved(1987年出版)を手にしたのだった。先生がこの作品に出会う前の1993年に、モリスンはアメリカの黒人作家として初めてノーベル文学賞を受賞していた。けれど当時、先生はそのことを知らなかった。
 ノーベル賞作家の作品、という先入観を持たずにBelovedを読み始めた先生は、衝撃を受けたという。内容が理解できなかったのだ。物語は、過去から現在、未来へと時系列で進むのではなく、ある章は現在の話、しかしその次は過去に立ち戻るエピソードであったりと、断片的に展開される。筋を追うのがとても難しい。使われている英語もよくわからない。それまで習ってきた「正しい」文法に基づくものではなく、むしろ詩といった方がいいような文章が続く。原典と翻訳版とを見比べながらも、作品世界で何が起こっているのかわからない状況でただひたすら授業を受けた、と先生は当時を振り返る。「けれど不思議と、この小説を放り投げようという気は起りませんでした。この中から何かを得たいという気持ちが生まれてきていたのです」
 この作品は、元奴隷の黒人女性・セサが、自分と同じ体験をさせたくないばかりに、生まれたばかりの娘を殺したことに始まる物語である。Beloved(愛されしもの)とは彼女が娘につけた名前であり、作品に登場する幽霊の名でもある。セサが抱いた思いを、先生はそれまで想像したこともなかった。「何が彼女にそうさせたのかを知りたい」という気持ちから、先生はこの作品に向き合い続けた。
 同時期、先生は身近なメキシコ人女性から「アメリカは北アメリカだけではない、中央アメリカも、南アメリカもまた“Americas”の一部」という言葉とともに、メキシコがスペインの侵略を受けた歴史についての話を聞く。自分の親しい人が、出身国の歴史に意識的であることに強い印象を受けた先生は、広くアメリカという地域がどのように成り立っていったかの過程に関心を持つとともに、Belovedを読み進める中で奴隷制について意識するようになった。そして、アフリカ系アメリカ人がどのような歴史のもとに歩み続けたか、奴隷制の中で生き延びた人たちがどのような精神性を持つようになったのかをたどる研究に着手した。「結局、Belovedという幽霊に、自分も取りつかれてしまったようなものです」と先生は笑みを浮かべた。

アフリカ系アメリカ人の痛みと覚悟に思いをはせて

画像イメージ現在、先生は、ニューディール時代(1930年代)の連邦芸術計画に参加したアフリカ系アメリカ人の活動についても研究。写真は2014年に先生がハーレムのYMCAにて撮影したアアロン・ダグラスの壁画。

 W・E・B・デュボイス、マーティン・ルーサー・キング、マルコムX、そしてバラク・オバマなど、先生が関心を寄せるアフリカ系アメリカ人作家・思想家は数多い。しかし中でも研究テーマとして取り上げることが多いのが、先述の
トニ・モリスンと、作家であり文化人類学者でもあったゾラ・ニール・ハーストンである。
 モリスンは存命中の作家のため、新作が出るたび、先生はその作品研究に取り組む。モリスンは過去を舞台とした小説を書くことが多い。19世紀や20世紀初頭といった時期が舞台になると、各時代背景についての理解も必要になる。モリスンの作品を追っていくと、アメリカの歴史、それも白人主体ではなく、根づいていた土地から引き離され「ルーツを奪われた」アフリカ系アメリカ人の視点からアメリカの軌跡をたどることができる、と先生は言う。「奴隷制の時代、アフリカ系アメリカ人は読み書きの勉強さえ禁じられていました。だから、自分たちの思想を他者に提示する手段がない。それはとてももどかしいことだったと思います。やがて彼らは、白人から盗み取るような形で言葉を習得していった。それは自分たちを支配する者の言葉で語るということで、そこにはとてつもない痛みと、それを乗り越えようとする覚悟があったことでしょう」先人たちの闘いの結果を受け継ぎ発展させていったアフリカ系アメリカ人にとって、歴史を語ることは辛い作業だったと思われる。しかし、だからこそ自分たち自身の物語を創り上げなければならない、という切実さがあり、それをモリスンの作品から感じ取ることができる、と先生。「とはいえ、そういう背景を持たない人間が、その痛みや、物語らざるを得ない切実さを理解するのは難しい。学生時代の私がBelovedを理解できなかった一因も、そこにあると思います」

アイデンティティは、装っても、変えてもいい?

 先生の主要な研究対象となっているもう一人のアフリカ系アメリカ人作家、ゾラ・ニール・ハーストンもまた興味深い、と先生は語る。「ハーストンは、自らがアフリカ系アメリカ人であることを時に利用したりするものの、黒人であることを卑屈にとらえたり、また過度に誇ったりするのではなく、アフリカ系アメリカ人としての自らの行動は、ある種の振る舞い(セルフ・ファッショニング)だと自覚していました。つまり、アフリカ系アメリカ人であるということは、彼女の本質的なアイデンティティではなく、あくまでも“黒人としての役割”を装っている、ということです」ハーストンは文化人類学者として、アフリカ系アメリカ人のコミュニティで受け継がれてきた習慣や民話などを収集しようとする。しかし同じ黒人が来たからといって、コミュニティの人々がすぐに率直に語ってくれるわけではない。人々の物語を引き出す時に、どのような言葉を使いどのように振る舞うのが効果的かをハーストンはとてもよく理解していてセルフ・ファッショニングをする、けれど装ったものが必ずしも自身の本質に根ざすものではないことを彼女は自覚している、と先生は説明してくれた。
 そうした傾向はトニ・モリスンにも見られる、と先生は続ける。「彼女は、“アフリカ系アメリカ人として初のノーベル文学賞受賞者”と言われるなど、黒人であることを過度に背負わされた人ではありますが、実際はアフリカ系アメリカ人のコミュニティに見られる断絶や差別を批判的に取り上げるといった姿勢も持っています」
 この二人の作品に触れることで、「アイデンティティは一つのものに限定することはない、また絶対のものでもない。時には“これが自分のアイデンティティだ”と装ってもいいし、状況によっては変えてしまってもいいのではないか」と感じる、と先生。特に若い時期、自分のアイデンティティについて考えると深刻な思いになってしまいがちだけれど、ハーストンやモリスンの作品に触れることでそうした問題を客観的にかつ前向きにとらえ直すことができるかもしれない、と先生は語った。

まずやってみることで、道が拓ける

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 先生と話をしていると、簡単に「わかった」とせず、徹底的に作者の思いに添って考え抜こうとするストイックさを感じる。そんな先生が学生の指導に当たって大切にしているのは、「必ず原典を紹介し、作家や思想家たちの考えを、彼ら彼女ら自身の言葉で味わってもらう」こと。時間がかかってもいい、ほんの一部でもいいから、翻訳ではなく英語で読んでほしい、と先生は言う。学生時代にトニ・モリスンのBelovedを読み通すのに苦労した経験から学生の大変さはよくわかる、だからこそ一緒にやっていこうと言いたい、と先生。「授業でも、初めのうちは作品の中でとりわけ重要な箇所を選んで、一節一節読んでいきます。最初は“高い壁だ”と気おくれを感じるかもしれませんが、“まず、読んでみよう”と後押しします」
 ゼミの指導でも先生は、“まず、やってみる”ことを学生に促すそうだ。「卒業論文も、“しっかり調べてから書こう”と思うとなかなか手をつけられません。曖昧な状態であっても、抱いている考えをまず文章にしてみよう、と学生に伝えています」書くことを恐れないで、それは自分にも言っていること、と先生は笑う。「私自身、そうやって文章を綴っているうちに“ああ、自分はこういうことが言いたかったのだな”と見えてくるタイプなんです」先生のゼミに所属する学生は先生に後押しされる形で4月から論文作成に着手し、迷いながらも少しずつ文章を書いて、締め切りのある12月まで添削を受ける。そうしていくうちに、明らかに論文の完成度が上がっていくそうだ。
 このように先生は、学生に「行動する」ことの大切さを伝えている。最初から華々しいゴールを目指さず、「まずやってみよう」という行動力を身につけてほしい、と先生は語る。「これは私自身、学生時代の恩師から教わってきたことでもあります。モリスンの作品研究をしていて行き詰まった時に恩師に相談したところ、“モリスンはまだ生きているのだから、会って聞いてきたらいいじゃないの”と言われて驚いたことがあります。その時、“そうか、会って聞いてみる方法もあるのだな”とハッと気づかされました。行動することで道が拓ける、そのことを私も皆さんに伝えられたら、と思うのです」

[ピックアップ授業!]
アメリカ文学・文化講義d

 公民権運動(黒人を中心とするマイノリティの人々が、憲法で保障された権利と人種差別の撤廃を求めて行った運動)の思想的・政治的な背景を踏まえた上で、公民権運動に関わったアフリカ系アメリカ人のスピーチや、運動を受けて創作された文学作品などを読み解く授業。翻訳版ではなく原典を資料として使用し、作者が発した言葉に触れながら彼ら彼女らの心情や力強いメッセージをたどっていく。

おすすめの本

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Beloved Toni Morrison
Dreams from My Father Barack Obama

前者は記事中でも紹介したノーベル賞作家トニ・モリスンの小説。後者は、第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマの自伝。
小説と自伝という、一見異なるジャンルの二冊だが、ともに、過去と現在との関係、個人と共同体との関係、他者と自己との関係について探求した内容。

※2017年10月 渋谷キャンパス研究室にて