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教員インタビュー vol.5



島 高行
Takayuki SHIMA
文学部 英文学科 教授
専門分野・専攻/近代イギリス小説

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[プロフィール]国際基督教大学卒業後、東京都立大学大学院で英文学を学ぶ。1998年より現職。

事実と物語の間で。
フィクションだからこそ、
伝えられる真実を見つめる。

「中心」から外れたところに関心を寄せて

画像イメージ2016年に開催された本学公開市民講座のリーフレット。「事実とフィクションの関係を見つめる」テーマのもと、先生は『ガリヴァー旅行記』を題材に講演。
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 スコットランド独立をめぐる論争や、EU離脱など、今、何かと話題の英国。
 島先生が専門とするのは、そうした現代の英国の体制が形作られてきた時代の小説。この時期を代表する文学者と言えば、デフォーやディケンズが挙げられる。一方、先生が研究対象としているのは、『ガリヴァー旅行記』で有名なジョナサン・スゥイフトと、シャーロック・ホームズのシリーズで知られるアーサー・コナン・ドイルである。「私の関心は、近代英文学の王道からすこし外れたところにあるかもしれません」と先生。近代英国の中心はなんといってもイングランドだが、スウィフトはアイルランド、ドイルはスコットランド出身で、彼らの作品からは、イングランドが中心となって確立された社会に対する批判的な眼差しが伺えるそうだ。「例えば、近代国家が成り立ち発展していった裏に、搾取され続けた労働者や抑圧された植民地の人々の存在があったりする。近代的なシステムが確立していく過程で、切り捨てられていった人々、忘れられた死者たちに光を当て、その存在を認める。それが文学研究の大切な役割の一つではないかと思います」

「実際に起こったこと」として書かれた『ガリヴァー旅行記』

画像イメージFrontispiece portrait of Gulliver from the octavo edition,1735
『ガリヴァー旅行記』初版に掲載された「著者」ガリヴァー氏の肖像。こうした視覚的仕掛けによっても、スウィフトは作品の「本当らしさ」を演出している。

 近年の先生の研究テーマの一つが「ジョナサン・スウィフトの作品を中心としたパロディ研究」。ここではその内容を、『ガリヴァー旅行記』を例にお話していただいた。
「よく知られているように、この作品では主人公ガリヴァーが、小人の国や巨人の国など、さまざまな国をめぐります。オリジナルの作品タイトルを直訳すると、『いくつかの遠い国々への旅行記』といった内容。その名の通り旅行記として書かれていて、実際に旅をした人の報告として、いかにも本当らしい客観的な文体で綴られています」架空の物語(フィクション)ではなく、実際に起こったこととして書かれている、それがこの作品の特徴だと先生は解説する。「いかにもありそうな形で、実際にはありえない話を描いている、それがこの作品の面白さです」
 ガリヴァーがそれぞれの国で遭遇する出来事もユニークだ。例をあげると、小人の国(リリパッド国)では、宮廷で出世するためには皇帝の前で綱渡りをしなければならない。また、卵の尖った方と丸い方のどちらから割るべきかで深刻な論争となり(卵割り論争)、内乱にまで発展するし、ついには隣国と戦争状態にまでおちいってしまう。
 いかにもフィクションらしい荒唐無稽な話だが、ここには当時の英国社会への諷刺が込められている、と先生は語る。「その頃、イギリスではウォルポールという政治家が実権を握っていたのですが、この人はわいろによって政治を動かすことで有名でした。わいろがまかり通るウォルポール政権の実態を綱渡りに置き換え、人格や政治家としての力量ではなく有力者の好き嫌いで地位が決まる、そんな政治の腐敗が書き込まれているのです」卵割り論争については、キリスト教におけるカトリックとプロテスタントの宗派対立をモチーフにしているそうだ。「綱渡りとか卵の割り方といった些細なことで国論が二分するという設定で、当時の宗教的対立を変容させて描き、批判していると言えます。小人の国のばかばかしさを笑っていると、いつのまにか自分たち自身の愚かさに気づかされるという仕掛けです」第三話では、空中に浮かぶ島ラピュタが登場する。スタジオジブリのアニメーション作品にも用いられたほど魅力的な発想だが、ここにはスウィフトがアイルランド出身であることが決定的な影響を及ぼしている、と先生。「空中に浮かぶ島ラピュタは、地上のバルニバルビという国を支配しています。これはイングランドとアイルランドの関係性を模したもの。アイルランドを実質的に植民地化し、政治的にも経済的にも支配する英国政府を、痛烈に批判する精神の表れと考えられます」
 こうして見ていくと、『ガリヴァー旅行記』という作品は実にさまざまな表情を持っていることがわかる。小人の国や巨人の国が舞台になるなど子どもも楽しめる娯楽作品としての顔、綱渡りや卵割り論争からうかがえる社会諷刺としての側面。ラピュタの場合も、楽しいファンタジーとしても、あるいはSFの元祖のようにも読めるだろうし、同時に深刻な政治問題までかかえこんでいる。ひとつの見方、ひとつの解釈で正解が決まってしまうようなことがありえず、さらにその読み方が読み手自身に跳ね返ってくるとう一筋縄ではいかないところがこの作品の魅力では、と先生は語った。

シャーロック・ホームズは、現代に生まれれば「サイコパス」?

画像イメージ挿絵画家シドニー・パジェットによるホームズとワトソンの肖像。パジェットはシャーロック・ホームズのイメージを確立させた画家といわれる。

 そしてもう一つのテーマであるホームズの物語で、今、先生が注目するのは、ホームズよりも彼の相棒ワトソンだという。「ホームズが初めて登場した『緋色の研究』では、19世紀末のアフガン戦争に参加したものの、負傷し、ロンドンに帰ってくるワトソン自身の物語から始まっています。物語の語り手でもあるワトソンが、植民地をめぐる戦争で全滅した部隊のただ一人の生き残りであるという設定がすごい」と先生。世界最強と言われた大英帝国の軍隊が、アフガニスタンのゲリラによって壊滅的打撃を受けるという屈辱的出来事からホームズの物語は始まっていて、この点は2010年に英国で放映されて人気作品となったテレビドラマ『シャーロック』も踏襲しているという。「“シャーロック・ホームズが21世紀を生きていたら”—『シャーロック』はそうした一種、時代錯誤的設定なのですが、ここでも対テロ戦争として始まった現代のアフガニスタンで心身ともに傷ついた帰還兵としてワトソンが登場しています。一方、原作では犯罪者という悪から英国を守るヒーローであったホームズが、この作品では周囲の人から疎んじられ、まったく孤立した存在として描かれています。サイコパスとまで呼ばれるほどです」名探偵というキャラクター自体は変わっていないのに、現代版ホームズはなぜ異常者扱いされるかというと、いわゆる「人間性」というものに欠けている人物だからではないだろうか、と先生は言う。「彼は名探偵ではあるが、推理にしか興味がない。彼にとっては事件はゲームでしかなく、被害者のことなど他者への共感する能力が欠けています。そういう人間は現代社会では受け入れられないということだと思います。しかしそうしたいわば自己完結したホームズがワトソンと出会うことで、変化していく。ワトソンが引き立て役ではなく、ホームズの危機を救い、“お前は馬鹿だ”とホームズに対して言えるような対等の立場で描かれ(この時、名探偵は本当にうれしそうな表情を見せます)、ホームズのほうがむしろワトソンから学んでいくというのが、このシリーズの画期的なところかと思います。監視社会を肯定的に描くような危険性もはらんでいますけれど」
 「ホームズの物語は基本的に探偵小説ですから、事件の謎解きだけを追って読みがちですが、『ガリヴァー旅行記』と同じく、視点を変えることでいろいろな読み方ができる重層的な作品です。だからこそ『シャーロック』のように大胆な読み替えにも対応できるし、現代によみがえらせることも可能なのだと考えています」

フィクションだから伝えられる真実がある

 どれだけ「いかにも本当らしい」つくりになっていたとしても、『ガリヴァー旅行記』を読めばそれがフィクションだということはわかる。近代英国で現実にあった出来事を変容させた物語ではあるが、21世紀の今読んでも面白く、そこに描かれている諷刺や、人間社会に対する作者の痛切な思いは現代にも通じるものがある。いつの世の、どの国の人でも、この作品に興味や共感を抱くことができるのではないだろうか。「スウィフトは最初から、時代を超える永遠の名作を書こうと考えていたのではないと思います。政治や経済、宗教など、目の前にある具体的な事柄に徹底してこだわり、彼なりのやり方で表現しようとした。その結果、強烈な喚起力をもつ作品がうまれた、ということではないでしょうか」フィクションだから伝えられる真実がある—。『ガリヴァー旅行記』はその一例なのかもしれない。
 こうした文学作品に接することで、「そもそも、事実とか、真実って何?」という根本的な問いに直面できることが文学研究の強味、と先生は言う。事実とフィクションとの関係性に着目し、その間に何か面白いものがあるのではないか、と考え始めてずいぶんになる、と先生。「何か見えてきたものはありますか?」と問うと、「見えてきたと思えば見えなくなる、幻のようです。“わかってしまったらおしまい”ということかもしれませんね」と先生は笑った。

「英語で何を学ぶか」にも目を向けてほしい

ドイルの『バスカヴィル家の犬』を取り上げた授業の感想で、「生まれて初めて夢中になって本を読んだ」と書いてくれた学生がいたそうだ。そうした反応を聞くと本当にうれしい、と先生は表情を輝かせる。「せっかく英文学科で学ぶのですから、文学作品の世界に没頭する体験をしてほしい。英語の運用能力を高めることはもちろん大切ですが、“英語で何を学ぶか”にも目を向けてほしいのです」
 ゼミで先生は、「卒論は自分で書く」という指導を行っているという。「ヒントや情報はいくらでも提供するから、卒業論文のテーマは、納得のいくものを自分で見つけなさい、と学生に伝えています。さまざまな作品に触れて自分でテーマを見つけ、参考文献を探し、自分の考えを論理的、客観的にまとめて論文を書いてもらうのが基本的な流れです」
 就職活動に時間を取られ、なかなか論文に向き合えない学生も見受けられるという。そんな学生に先生は「進路や友達との関係など、今、自分が抱えている課題を頭の片隅に置いて、何か結びつくものはないか考えながら卒論に取り組んでみなさい」とアドバイスするそう。すると学生が目覚ましい成長を見せることがある、と先生は語る。「最初は文章や論理も未熟なのですが、投げ出さずに取り組むうち、論文のテーマと自分の課題など、一見ばらばらに感じられるものが次第につながって形になっていく、すると論文作成が義務ではなく、積極的な表現に代わっていく。添削指導していると、そういう学生が提出する草稿はどんどん良くなっていく。思考力や洞察力も深まって、日に日に成長していることがわかります」学生の成長の速さは若さの特権で、とてもかなわない、と先生。
 「卒論を書いていて楽しかった」と言ってくれる学生もいたそうで、そうした時が一番うれしいと先生は言う。「そういう体験を一度でも味わうと、その後の姿勢が大きく変わります。学生時代、与えられた課題に前向きに取り組み最後までやり遂げた経験があれば、壁に突き当たってもあきらめずに、自分なりに解決策を探っていくことができる。卒業後、困難な状況になったら、自分の卒論を読み返してみることを学生にはすすめています。最初はとてもできないと思っていたことでも時間をかけ、一歩ずつ進めば何とか乗り越えられるという過去の自分からの励ましを受けることができるはずです。どんな課題でもそれを乗り越える力が自分の中にあるんだという自信を学生がもてるように、指導を通じて後押ししていきたいですね」

ピックアップ授業!
英語圏の詩

 シェイクスピアのソネットからボブ・ディランの歌詞まで、幅広い作品を対象としながら、詩の形式とレトリック(言葉を効果的に使って、美しく的確に表現する技法)に焦点を当てる授業。
 英語の詩でレトリックがどのように使われ、どのような効果をあげているかを分析。さらに広告やドラマなどでも同様のレトリックが使われていることを紹介し、詩を身近なものと実感してもらうとともに、新たな発想を生み出すきっかけとなるような講義を展開している。

おすすめの本・映画

教員が「おすすめ」する本など無視するのが学生のあるべき姿勢だと思いますが、あえて紹介すると、『イメージの自然史:天使から貝殻まで』(田中純、羽鳥書店)

 人文学研究に未来はないと思う人は、この本を読んでみよう。活字離れといわれる昨今、「厳密な表現と綿密な実証を可能にする手段」(279頁)としての言葉、そして活字媒体が持つ可能性への信頼を明言する氏の文章は、どれも素晴らしい。知的刺激に満ちた本。さらに『都市の詩学』『政治の美学』などの著作にも挑戦すべし。「歴史叙述と文学の相互浸透」を論じた『過去に触れる‐歴史経験・写真・サスペンス』になると「知的刺激」などと言っていられなくなるぎりぎりの叙述。どの論考にも物言わぬ死者に対する著者の痛切な哀悼の思いが底流にあり、心打たれる。
 学生時代には、ぜひ背伸びして、簡単には理解できないような読みごたえのある本に何度も挑戦してみることを「おすすめ」します。

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『から騒ぎ』(ケネス・ブラナー監督、20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン)


 ケネス・ブラナー監督・主演によるシェイクスピアの喜劇。シチリアの明るい日差しの下、二組の男女の恋愛が描かれる。喜劇なので最後は(どこかのテレビドラマのように)喜びに満ちたダンスでおわる。一方で、悪意に満ちた計略や深刻な誤解、兄弟間の不和、さらには戦争の影といった深い闇の存在が感じられることも。文句なく面白いが、物語は終わっても問題は残り続ける作品。同じ時期に書かれた『ロミオとジュリエット』と比較してみるとか、同じ喜劇の『ヴェニスの商人』を読んでみるとか、この作品を出発点にシェイクスピア作品の世界へ進んでみてはどうでしょうか。


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※2017年10月 渋谷キャンパス研究室にて