横浜で開催中の佐藤春夫の特別展に本学の寄託資料が多数展示。客員研究員の河野龍也東大准教授に見どころを伺いました!
日本近代文学を代表する作家、佐藤春夫(1892~1964)の貴重な資料を集めた特別展「佐藤春夫展 情(こころ)あらば伝へてよ」(県立神奈川近代文学館など主催)が11月29日(日)まで、横浜市中区の港の見える丘公園内の同文学館で開催しています。今年1月、佐藤春夫の膨大な資料が遺族から和歌山県新宮市に寄贈され、市から寄託された本学では、資料の調査を継続しています。今回の特別展では、大学から123点を出品しており、うち、17点の書簡が初公開となっています。門弟が多く、日本の近代文学の発展や次世代の文人の育成に大きな役割を果たした佐藤春夫は、ますます注目を集めています。今回の特別展で編集委員を務める本学客員研究員の河野龍也東大准教授に特別展の見どころやポイント、展示の意義などについて伺いました。
Q.佐藤春夫はどんな人ですか?
A.近代文学は人間の心理や行動のリアルさを追求する「写実主義」から始まりました。起こり得ないことは書かないのが基本です。しかし、佐藤春夫は「写実」を技法として生かしながら、夢や幻想を描く多くの作品を生み出しています。ファンタジーの開拓者として、近代文学史に正しく位置付けていく必要があります。
また、芸術や美に対する好奇心が極めて旺盛で、詩歌と小説だけでなく、童話や翻訳や紀行文、美術の分野でも活躍しました。デビュー作の「田園の憂鬱」(岩波文庫)の油絵のような自然描写や、植民地時代の台湾旅行で見た社会矛盾をテーマとする「女誡扇綺譚(じょかいせんきだん)」(中公文庫)、漢詩を日本語で楽しむ新しい方法を開発した「車塵集」(岩波文庫『春夫詩抄』収録)などをお勧めしたいですね。
Q.県立神奈川近代文学館で佐藤春夫の特別展が開催中です。大学の寄託資料の中で注目されるものは?
内覧会であいさつする河野准教授
A.実践女子大学のバックアップを受けて、佐藤家の遺品の調査を行ってきました。資料は2026年1月に、ご遺族より新宮市の佐藤春夫記念館に寄贈されましたが、引き続き実践女子大学が新宮市から寄託を受けて、調査と活用に当たっています。
佐藤春夫は恐らく、近代作家のなかでは最も幅広い人脈を持っていた人物です。そのため、与謝野寛(鉄幹)(1873~1935)・永井荷風(1879~1959)など師と仰いだ文学者や、谷崎潤一郎(1886~1965)・芥川龍之介(1892~1927)など同時代のライバルたち、そして冗談まじりに「門弟三千人」と言われた数多くの後輩作家たちから受け取った膨大な数の手紙がまず注目されます。
なかでも、太宰治(1909~1948)が佐藤春夫に芥川賞を懇願したエピソードは有名です。今回はその「泣訴状」と呼ばれる長い巻紙に書かれた手紙2通を含む40通以上の太宰書簡を、実践の預かり資料から文学館に出品しています。当時の手紙の書き方や、太宰らしい頼み事のしかたなど、エピソードだけでなく実物だからこそ分かることを会場で発見してください。
新発見の資料で面白いものを一つ。童話雑誌『赤い鳥』を創刊したことで知られる鈴木三重吉(1882~1936)の葉書です。1920(大正9)年1月4日に書かれたもので、春夫の「ピノッキオ」(コッローディ原作)の翻訳に、三重吉が次のように注文をつけています。「木片が膝に当ツタトキの言葉のカキ出しに、驚愕(がく)の言葉(アイタヽとか何とか)がないので、地の文からのツヾキがブッキラで、アト一行読むまで苦痛が分らないやうな気がしました。」。アドバイスが具体的で、春夫はのちにこれを出版する際、三重吉の指摘通りに翻訳を修正しました。1925(大正14)年、『ピノチヨ』のタイトルで出たこの春夫訳は、日本最初の完訳版「ピノッキオ」で、多くの子供たちに親しまれました。三重吉がプロデューサーとしての役割を果たし、春夫がそれに刺激を受けて童話ジャンルに目覚めた経緯がよく分かります。
Q.本学以外の資料で注目されるものは?
A.まず、展示会場に設けられた画廊のような一画を見てください。春夫はデビュー直前に画家を目指した時期があります。1915(大正4)年の二科展に入選した「自画像(眼鏡のない)」は傑作です。見えるものを正確に描く「写実」から、見えないエネルギーを描く「写実」へとシフトした、当時の美術界の最先端の動向を反映した作風です。こういう体験があったからこそ、春夫は文学においても「写実」を革新して行けたのだと思います。
それから、1941(昭和16)年7月1日の太宰治の手紙(新資料)。友人の山岸外史(1904~1977)の結婚媒酌人を春夫が引き受けてくれたことへの礼状です。山岸はどん底時代の太宰を春夫に引き合わせた経緯がありますから、今度は山岸に恩返しができたという安心感があったでしょう。芥川賞事件でこじれた当時の太宰の言動は、鎮痛剤使用による病的症状だと春夫は分かっていましたから、太宰の頼みを快く引き受けています。これにも太宰は安堵したことでしょう。
横光利一(1898~1947)の手紙(新資料)の方は、原稿用紙23枚にわたる弁解文です。富ノ澤麟太郎(1899~1925)という横光の友人が、佐藤春夫の実家で療養中に急逝したことを、横光はよく確かめずにゴシップとして広めました。あとで横光は誤解に気づき、この手紙で経緯を説明しているのですが、菊池寛(1888~1948)の文芸春秋に横光がゴシップを提供したことが、春夫には文壇政治的なパフォーマンスに見えて許しがたかった、という2人の関係や当時の文壇勢力図が見えてくる内容です。
Q.今回の展示の意義は?
展示の様子
A.手紙を通じて春夫の幅広い交友関係を知り、当時の文壇の熱気に触れてみてください。それに加えて、若い才能を魅了したマルチタレントとしての春夫の姿にも注目してください。まさに「美の冒険者」と呼ぶにふさわしいこの稀有な作家の活動には、未知の力があふれています。それを是非、会場で汲み取っていただけたらと思います。
実践女子大学が連携協定を結んでいる佐藤春夫記念館も、この10月に新宮市内で移転リニューアル・オープンを果たしました。神奈川近代文学館での展覧会開催とあわせて、新しい春夫像を探る展示になっています。









