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お宝紹介 当館所蔵の『東海道中膝栗毛』

『東海道中膝栗毛』(山岸文庫)

 寛政6(1794)年、江戸通油町にひとりの男が大坂からふらりとやって来て、耕書堂・初代蔦屋重三郎の店に寄宿します。名は十返舎一九。文才も絵心もあり、版元の下働きも器用にこなす、まことに便利な人物で、手伝う内に蔦重のすすめで、黄表紙や洒落本などの創作に才能を発揮しますが、ヒット作にはなかなか恵まれまずにいました。

 寛政9(1797)年、蔦屋重三郎の死後も店の手伝いをしながら軽い気持ちで書いた弥次郎兵衛と喜多八コンビの旅小説『膝栗毛』が大当たりし、一躍流行作家となります。ちなみに『東海道中膝栗毛』が正式の書名になったのは三編からで、初編は『膝栗毛』、二編は『道中膝栗毛』。「栗毛」とは茶色の馬のことで、「膝」は人の足、すなわち貧乏な徒歩旅行であることを示しています。

 初編刊行は享和2(1802)年、栃面屋弥次郎兵衛と居候の喜多八は、自分たちの不運続きの人生につくづくあきれ果て、厄落としのお伊勢参りに出かけようと家財を処分、風呂敷包みひとつの身軽な旅にでかけます。それまでの名所案内が和歌の名所旧跡をめぐり、ゆかりの場所で歌を詠むという風流な作りだったのに対し、本作は自分たちと等身大の二人が、ゆく先々でトラブルを起こしながら、あこがれのお伊勢参りへ向かう道中で名所・名物を案内するという筋立てで、江戸の人々の心を鷲づかみにしました。

 宿場の宿でのひとときも、旅をしたことのない読者にとっては興味津々の場面です。喜多さんが女中に「煙草盆に火を入れてきてくんな」といえば、横から弥次さんが「煙草盆へ火をいれたらこげてしまわぁな」と茶々を入れる。そんな他愛もないやりとりが、十返舎一九の筆にかかれば絶妙な会話の掛け合いになり、うらやましいほどの旅情と旅先の気分があふれてきます。

第三編 巻上

 折からの旅行ブームで売れ行きは好調となり、弥次さん喜多さんのお伊勢参りが叶うまで、出版は順調に続きました。ところが庶民の継続の要望が高く、そのまま京都大坂をめぐるはめになり、さらに続編を求める読者の期待感から、帰るに帰れなくなった二人が木曽街道六十九次を回る『続膝栗毛』の新シリーズとなって文化7(1810)年から刊行が継続、江戸に帰るまでに21年もかかる超長編の人気小説となりました。

 物語の上では1か月余りの旅ですが、初編刊行時に37歳だった一九は、書き終えた時には58歳になっています。晩年はたびたび眼を患い、最期は孤独な生涯だったようですが、「膝栗毛」シリーズは、寛政2(1790)年の幕府による出版統制以来、厳しい取締りが続く江戸の出版界に新風を吹き込み、のちに「滑稽本」と呼ばれる江戸文芸のジャンルを確立した記念碑的作品となりました。

初編 狂歌・挿絵とも十返舎一九

 本学日野キャンパス図書館では『東海道中膝栗毛』について、発端を含む一から五編までの初版10冊(山岸文庫 以下「10冊本」)と、五編上下のみの2冊(山岸文庫 以下「2冊本」)の2点を所蔵しています。いずれも橙色がかった肉色の表紙で、ほぼ中本の大きさを維持しており、一部に「(東海)(道中)膝栗毛」の題箋が残っています。

 双方の五編下巻の最終丁にある刊記を比較すると、10冊本では版元3名が「江戸 村田屋治郎兵衛、鶴屋喜衛門 大坂 西村源六 河内屋太助」と記載されています。 その一方で、2冊本では10冊本のように別丁での刊記はなく、本文末尾に版元名1名で「芝神明前三島町/甘泉堂和泉屋市兵衛板」と記されています。

五編 巻下 刊記比較 (左)10冊本 村田屋治郎兵衛等 (右)2冊本 和泉屋市兵衛

 次に、10冊本で本文末尾の同じ箇所を比較すると、尾題の位置が異なり、2冊本では版元名が入ったことで尾題が前方へずれています。
 また、本文をよく比較すると字様が異なり、2冊本は別の版木で刷られた覆刻版であることがわかります。五編は上下2巻に分かれていますが、上巻は同版であるのに対し、下巻は全頁にわたって彫りかえられています。
 和泉屋市兵衛が本書の版木を買い取った後、何らかの事情により五編の下巻のみ版木を新調する必要が生じたと思われます。

五編巻下 末尾比較 (左)10冊本 村田屋治郎兵衛等 (右)2冊本 和泉屋市兵衛

 和泉屋市兵衛のいる芝神明前には、蔦屋重三郎、鶴屋喜衛門、須原屋茂兵衛等が割拠する日本橋通油町と並ぶ大きな本屋街がありました。大店の間で繰り広げられた江戸出版界の争奪戦を垣間見る貴重な資料といえましょう。

 初代蔦屋重三郎亡き後、十返舎一九がどのような心境で過ごしたかは想像の域をでませんが、その5年後から『膝栗毛』が書かれたことを思うと、「ソラ、元気を出せ」と憑依した蔦屋重三郎に守られながら、取り憑かれたように書き続けた一九の姿が目に浮かびます。
 『東海道中膝栗毛』に続いて、文化7(1810)年から金毘羅宮と宮島を経て木曽街道を回る『続膝栗毛』の刊行が開始し、全12編25冊が完了したのは文政5(1822)年の時のことでした。

 一度江戸にもどった弥次さん喜多さんは、ふたたび日光道中をゆく企画でしたが、十返舎一九が亡くなったため未完に終わります。一方で「膝栗毛」のシリーズはその後も愛され続け、板木が磨滅してしまったため、文久2(1862)年に『東海道中膝栗毛』の全面的な改訂版(10編23冊)が出され、明治になっても刷られ続けます。本学図書館では、この『続膝栗毛』と文久2年改訂版『東海道中膝栗毛』を常磐松文庫に所蔵しており、原装のまま当時の姿を残しています。

『続膝栗毛』(常磐松文庫)

文久2年改訂版『東海道中膝栗毛』(常磐松文庫)

 日野キャンパス図書館では、2025年12月26日(金)から2026年3月13日(金)まで、
 入口エントランスのガラスケースにて、
   歳旦大出来!もっと「べらぼう」な仲間たち~江戸絵入り本の世界
と題し、『東海道中膝栗毛』をはじめ、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』や柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』、式亭三馬や為永春水の作品など、江戸庶民から拍手喝采を浴びた草双紙や読本作家による「江戸絵入り本」の世界の展示を予定しておりますので、あわせてご覧いただければ幸いです。

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