
お宝紹介 当館所蔵の尾張屋版「江戸切絵図」と 歌川広重『名所江戸百景』(複製版)
『江戸切絵図』31舗 嘉永~文久刊(常磐松文庫)
『名所江戸百景』複製版(渋谷キャンパス図書館)
今回は、令和8年6月1日から8月3日まで、日野キャンパス図書館エントランスにて開催した「江戸をゆく~切絵図と名所絵で巡る風景」展より、尾張屋版「江戸切絵図」と歌川広重が描いた『名所江戸百景』の2点をご紹介します。
まもなく黒船が来航するという江戸後期に、江戸で画期的な地図が刊行されました。それまでは江戸全体を見渡す大絵図しかなかったのですが、それを31に切り分けた区分図、いわゆる「江戸切絵図」が出版されたのです。中でも人気があったのが、色とりどりの色彩豊かな尾張屋版(尾張屋清七・金鱗堂)でした。折りたたむと18×9㎝ほどの短冊型になり、厚紙の表紙がついていて、持ち運びに便利でした。広げると40×40㎝ほどの正方形や、本所深川は縦長、高輪・三田では横長など、形状はさまざまでしたが、必要な部分を携帯し、手元でひろげることができました。
尾張屋版江戸切絵図の特色は、何といっても色鮮やかな塗分けにあります。赤は寺社、白は武家地、薄墨色は町人地、黄色が道で、青は川・水路など、緑は田畑や山野を表し、その土地の地勢が一目でわかります。
江戸城周辺にはびっしりと武家屋敷がならび、その一つ一つに武士の名前が記されていて、住宅地図の役割もっていたことがわかります。対して日暮里や白金では緑地が多く、今と全く異なる風景が広がっていました。
日暮里は当時「新堀」(にいほり)と呼ばれ、一面の田園風景でした。その中を上野から伸びた台地の果てがつらなり、趣のある寺社が集まっていました。境内の春の花の美しさ、道灌山の秋の虫聞きなど、手軽に楽しめる行楽地として人気が高く、いつの間にか日が暮れてしまうことから名付けられた「日暮里(ひぐらしのさと)」が現在の地名の由来となっています。
江戸切絵図は美しいだけでなく、実用の地図として出版され流布したことに大きな意味がありました。それまでは大絵図から部分的に写したり、覚書のような手書きの地図をたよりにしていましたが、不特定多数の人々が共通の刊行図を共有できたことで、公用や商売、観光等の効率が格段に上がったと思われます。そして、この切絵図の普及とほぼ重なるように出版された歌川広重の画業の集大成ともいうべき『名所江戸百景』を組み合わせることで、現代の私たちにも江戸の風景と当時の暮らしが、見えてくるように思います。
江戸時代は富士信仰が盛んで、江戸市中にはこの絵のようなミニチュア富士(富士塚)がたくさん築かれ、旧暦6月1日の山開きには人々がいっせいにこれらに登って、富士山を拝んだといいます。左画面は書物奉行であり探検家としても著名な近藤重蔵の邸内にあったもので、ちゃんと登山道もあり、頂上には人影もみえます。
右画面は両国橋の納涼花火です。七代将軍徳川吉宗の時代に飢饉やコレラで命を落とした江戸庶民を弔うために打ち上げられたのが始まりといいます。当時の花火は現在のような色彩はなく、日本古来のオレンジ一色のもので「和火」と呼ばれています。
『名所江戸百景』は全120枚(内1枚は目次)からなり、119点の名所が描かれています。その中には浅草、上野、向嶋や本所・深川など定番の名所もありますが、次の二図のように人々の姿を通して、しみじみと描かれた名所もあります。
さるわか町は、天保の改革時に江戸中心地にあった歌舞伎三座と人形浄瑠璃二座が取締り上の理由で浅草寺の北東部に移転させられてきたものです。画面の両側に立ち並ぶのは芝居小屋、通りには提灯をもってお客を誘う者や、煮売り・寿しなどの屋台も見えます。満月の夜にそぞろ歩く人々が落とす影法師、これは彫師と摺師の技術の粋を尽くした成果で、遠近法の見事な奥行き感とともに、まるで実際の写真を眺めているかのような錯覚に陥ります。
右の「愛宕下藪小路」は江戸城の南を護る愛宕神社へ向かう道すじの風景です。右手前方の雪の杜が愛宕神社になります。通行人は雪の日用の高下駄をはき、傘や蓑で体をおおっています。傘をすぼめている人は、こうすると少し暖かいのでしょうか。前方に子犬へ食べ物を与えようとしている人もいます。何気ない日常の一コマですが、こうした暮らしの風景に美を見出したのも『名所江戸百景』の功績の一つといえます。
『名所江戸百景』に描かれた119の場面のほとんどは、「江戸切絵図」の地図上に落とすことができます。
奇しくも『名所江戸百景』の刊行が開始した安政3(1856)年に先立つ安政元年(1854)は安政東南海地震(現在の南海トラフ大地震)が、安政2(1855)年には安政江戸地震が発生し、翌年には台風が襲って、大洪水と暴風雨により築地本願寺の本堂や永代橋が崩壊してしまいました。
しかし、こうした状況の中でも刊行され続けた『江戸切絵図』や『名所江戸百景』という観点でみていると、江戸の再興にかける広重や職人たち、江戸庶民の姿が浮かび上がってくるように思います。
実践女子大学図書館の常磐松文庫では、「江戸切絵図」のたいへん状態のよいシリーズと、『名所江戸百景』の精巧な複製本を所蔵しています。
また、当館では他にも、切絵図と名所江戸百景をテーマにした資料を所蔵していますので、ご参照ください。
切絵図を片手に、浮世絵に描かれた風景をたどる史跡巡りの散歩も楽しみです。















