多摩地域26市の若者、市長らが集う「戦後80年 平和サミット」が開催され、平和のメッセージを発信。生活科学部現代生活学科3年の江尻結花さんが日野市代表として参加し、約500人を前に平和活動の説明をしました(2/15)
「広島」で被爆体験者らと交流した多摩地域の若者代表が思いを語る「戦後80年 平和サミット」が2月15日、多摩市のパルテノン多摩で開かれ、次世代への平和のメッセージを発信ましました。生活科学部現代生活学科3年、江尻結花さんも日野市代表として参加し、26市の首長を含む約500人の聴衆を前に、活動の全体的な概要を説明したり、イベント後の記者会見で感想を述べたりしました。
江尻さんのグループの発表の様子
被爆二世の元NHKアナ、杉浦さん「被爆の経験、自分の言葉で」
杉浦圭子さん
平和サミットは、昨年8月に実施した広島研修での学びをもとに、「平和ユース」と名付けられた多摩地域26市の高校生・大学生の代表が自らの言葉で平和への思いやメッセージを発信する事業です。2023年に発足した「平和首長会議東京都多摩地域平和ネットワーク」が主催。同ネットワークは「平和文化の新興」に向けて地域が共同で取り組む宣言をしており、平和サミットでは、市民一人一人が平和を願い、日常生活の中で自分ができることを考え行動する「平和文化」を根付かせ、市民社会に平和意識を醸成させることや、戦禍や被爆の実相を共有・継承し、「平和文化」の担い手を育成していくことなどを目的としています。
平和サミット開幕の冒頭、父親の被爆体験を伝承する広島出身の元NHKアナウンサー、杉浦圭子さんが講演しました。この中で、杉浦さんは、被爆40年の8月6日の生放送での忘れられない失敗談を披露。被爆2世の新人アナウンサーとして広島に呼ばれ、台本通りに「悲劇が繰り広げられました」と伝えたところ、視聴者から「悲劇とは何事か、ドラマや映画じゃない」などとお叱りの声が多数寄せられたといい、その経験から、自分の言葉でちゃんと広島を伝えられる人間になりたい、と思うようになったと述べました。そのうえで、「被爆地から遠く離れた東京で暮らしているユースの26人の皆さんが、広島について学び、平和のメッセージを発信するという、難しいミッションに挑まれました。その勇気と努力に、心からと感謝の気持ちを捧げたい」とねぎらいの言葉をかけました。
江尻さん「私たちができることとは何か、考えたことを伝える」
平和ユース事業の概要を説明する江尻さん
続く第2部は、江尻さんら平和ユースのメンバーが昨年夏に広島を訪れ、被爆者らとの出会いや学び、気づきについて発表し、「平和のメッセージ」を伝えるコーナーです。江尻さんはその冒頭に登場。平和ユース事業の概要を説明する中で、「約1年間、多摩地域での学習や広島での研修を通じて学び、考え、語り合ってきました。 本日、このミッションに対して、私たちができることとは何か、考えたことを皆さんにお伝えします」と訴えました。
平和ユースのメンバーは広島研修から戻った後、4つのグループに分かれて、「平和×被爆の記憶」「平和×教育」「平和×スポーツ」「平和×人権」をテーマに議論を重ね、発表の準備をしてきました。
江尻さんらのグループは、「平和×被爆の記憶」をテーマに、広島で被爆者の証言を聞いた体験を報告しました。15歳と8歳で被爆した2人の被爆者の証言から、被爆者の証言は知識ではなく人の痛みとして戦争の現実を突きつけるものであったと報告しました。また、身近なところで原爆について考えることができる施設として「八王子 平和・原爆資料館」を紹介。出席した各市長に対し平和学習の機会を増やすことなどを提言しました。また、自分たちが、被爆者や戦争体験者から直接話を聞くことができる最後の世代と強調し、「被爆者の方々が、これまで訴えてきた戦争の怖さ、平和の尊さを風化させず、次世代につなげていくために皆さんも一緒に行動していきましょう」と呼びかけました。
記者会見では「平和ユース事業は魅力があった」
市長と若者のトークセッション
この後、他のグループの発表や市長とのトークセッションが続き、広島市長らが登壇してメッセージを発信して、平和への願いや平和活動の必要性を共有しました。
イベント終了後には、檀上で記者会見も開かれ、杉浦さんや市長らが並ぶ中、平和ユースの一人として、江尻さんも発言。「今回のように平和について発信する場を設けて取り組んだのは初めて。同世代の人と平和について話し合ったりする機会はこれまでなかったので、この平和ユース事業は魅力があったと思っています。グループの活動を進める中で、ゴールがイメージできなかったのですが、本日発表を終えることができて、本当にうれしく思います」と述べました。
被爆体験者から聞いた衝撃の事実
イベント後、檀上で行われた記者会見
江尻さんが平和ユースに参加することになったきっかけは、大学で所属する須賀由紀子教授のゼミでした。多摩地域26市から若者代表を選出するにあたり、日野市では大学のゼミを通じて候補者が募られ、須賀ゼミに在籍する江尻さんが、担当教員である須賀先生から日野市の担当者に推薦されました。もともと平和問題に関心を持っていたこともあり、江尻さんは日野市代表としての役割を引き受け、平和ユースの活動に参加することを決めました。
平和サミットに向けた取り組みの柱となったのが、昨年8月に実施された広島研修です。江尻さんは、多摩地域26市の高校生・大学生とともに2泊3日で広島に滞在し、平和記念資料館の見学や市内各所の視察、被爆体験証言の聴講などを通じて、原爆がもたらした被害の実相に向き合いました。
研修期間中に聞いた証言の中で、江尻さんの心に特に強く残ったのが、二人の高齢の被爆者女性の話でした。一人は、幼少期に被爆し、原爆投下直後の混乱の中で逃げ惑う人々の姿を目の当たりにした体験を語りました。皮膚がただれ、助けを求める人々の光景を今も鮮明に覚えていると話す姿に、江尻さんは大きな衝撃を受けました。
もう一人は、当時15歳で被爆し、亡くなった後輩たちを自らの手で焼かなければならなかった経験を語った女性でした。証言は淡々とした口調で続きましたが、最もつらかった場面については「よく覚えていない」と話しました。細かな出来事ははっきり覚えているにもかかわらず、その部分だけ記憶があいまいだったことが、被爆体験の重さをより強く感じさせたということです。
グループではリーダーとしてまとめ役に。小6時の母親との広島訪問が原点に
記者会見で感想を述べる江尻さん(左)
広島研修後も、平和ユースの活動は続きました。事前研修や事後研修、グループごとの話し合いを重ねながら、平和サミットで発表する内容をまとめていきました。江尻さんはグループのリーダー的な役割を担い、調整やまとめることに苦労しました。活動中、対面で行ったのは事前研修で2回、広島研修、事後研修で3回の計6回。しかし、研修を終えて、サミットまでは3回しか会えず、他で時間を確保してオンラインで打ち合わせを行いました。住んでいる市や通っている学校が異なる中で、日程を調整し、意見を整理していくことは容易ではありませんでした。しかし、Zoomを使った話し合いを重ねる中で、少しずつ発表内容を形にしていきました。また、広島での体験をもとに、それぞれが感じたことや考えたことを言葉にし、共有する時間を通じて、同じ出来事でも受け止め方が一人ひとり異なることも実感しました。
江尻さんが平和問題に関心を持つようになった原点は、小学校6年生の時に、茨城県の実家に住む母親とともに広島を訪れた経験でした。平和記念公園や資料館を巡り、原爆の被害について知ったことが、強く心に残ったといいます。当時はすべてを理解できていたわけではなかったものの、同じ日本で起きた出来事として、忘れてはいけないと感じたことが、現在の活動へとつながっています。
江尻結花さん コメント
事前のインタビューに答える江尻さん
今回、平和ユースとして活動する中で、平和について同世代と話し合う時間を持てたことは、大きな経験でした。これまで、友人同士で戦争や平和の問題を話題にすることはほとんどありませんでしたが、昨年8月の広島研修で見聞きしたことをきっかけに、それぞれが感じたことを言葉にして共有する機会がありました。約1年間の活動となり、今振り返れば、長かったような、短かったような感じです。イベント直前にグループのメンバーが風邪などを訴え、どうなってしまうのかと不安でしたが、発表できてほっとしました。ゼミでは、「平和」という大きなテーマを掲げて、代々、ファイナルプロジェクトに取り組んでいます。私も4年生になったら、小学校や図書館などの地域と連携して、小中学生を対象とした平和教育プログラムを考えていきたいと思います。また、今回の活動を通して、平和教育を支援する自治体職員の仕事にも興味をもったので、そうした仕事にも関心を持っていきたいと思います。







