梅雨
私は梅雨を知らなかった。
日本の中でも随分と北の地域出身の私は、大学進学のために上京してから梅雨というものを知った。
上京したてのころ、洗濯物が乾かない日々が夏のにおいとともに続き、一日だけからりと晴れたと思えば、次の日にはじめじめとしとしとと雨が降り注ぐ。雨が少ない地域で育った私にとって、雨が四季の中でこんなにも存在感をもたらすものであったということは驚くべきことであり、梅雨が嫌いと声高らかに言う都会の人々の感情を、おこがましいが少しずつわかるようになってきた。
昔は雨が好きだった。
雨が降れば、外での体育の授業が中止になり、雨が降れば、花壇の花に水をやらなくてすみ、雨が降れば、少し遠かった学校に両親が車で迎えに来てくれることもあるのだ。
そして何より、外に出ることが好きではなかったことが私の雨好きを加速させたのだ。
幼稚園の頃から、全員で外遊びをするとき、サッカー大会に出なくてはならないとき、体育の時間、どんな時も外に出ることを嫌がっていた。幼稚園の頃は、いやそうな顔をする私を見かねた先生がたまに室内で遊ぶことを許可してくれるほど外が嫌いで、室内でずっと本を読んでいる生意気な子供だった。
そんな私にとって、雨の日は至極であった。どんなに外遊びが好きな同級生も、雨となればみんな室内にいる。どんな人間も同じ空間に、雨という存在たった一つに逆らえず、静かに、室内で過ごすのだ。私にはできなかった外に出ることを難なくこなす遠い存在キラキラとした同級生も雨だと室内にいておとなしく遊ぶのだ。
だからこそ、私にとって雨は、まぶしかった同級生たちも同じ人間なのだと思わせてくれる、自分が自分であっていいと思わせてくれる存在のひとつで味方だった。
昔は味方だった雨も、今となっては敵だ。雨が嫌いというわけではないが、一人暮らしを始めてから洗濯物が外に干せなくなったり、部屋干しで生乾きになったり、満員電車で足元がぬれたり、折り畳み傘が風でひっくり返ったり。静かにちくちくと心を侵食する雨が少しだけいやになる事もある。
それでも、あの頃味方でいてくれた雨のことをずっと覚えている。雨は大地を潤すだけではない、人間のことも潤してくれることがあるのだ。
ペンネーム はる